たとえば愛を歌う指先だとか

 兄の髪に顔をうずめるのが好きだった。兄、プロイセンの髪は一本一本が細く、少しクセのあるやわらかなもので、ドイツはその髪に触れるのが昔からとても好きだった。指の隙間を通るふわふわとした手触りも、日に透けたような色味のない銀色も、ドイツはとても愛していた。
 それは今でも変わることはなく、ドイツはプロイセンを背中から抱き込むようにして足の間に座らせ、その後頭部に口元をうずめた。ドイツの鼻に届く穏やかな香りはドイツが兄の髪質に合うものを徹底的に探した末に見つけたシャンプーのもので、ドイツは兄のやわらかな髪を傷つけず、さらには兄のふわふわと跳ねた髪のイメージと合った香りであるこのシャンプー気に入っていた。
「ヴェストぉー、あっついんだけど」
「我慢してくれ」
「ほんっと自分勝手だなオマエ、誰に似たんだか」
「さあな」
 そっけない返事とは裏腹に、ぎゅうぎゅうと兄を抱きしめる力は緩むことなく、むしろ隙間をぴったりと埋めねば気が済まないと言わんばかりに強められていった。プロイセンの髪に鼻先をうずめるようにして押し付け、そこに漂う甘い香りを嗅ぐドイツに、兄は呆れたように「おまえは犬か」と笑う。
 あなたがそう言うなら、と口元を兄の頭に押し付けたまま、口の中だけで「わん」とへたくそな犬の鳴き真似をすると、プロイセンはけらけらと楽しそうに声をあげた。
「うちの4匹目の犬はでっけえなあ。でっけえのに随分と甘えん坊だ」
「……わん、」
 プロイセンの腹に回されたドイツの腕を兄の手のひらが穏やかに撫で、ぽん、と宥めるように軽く叩く。その手のひらの体温は低く、そのくせそこからじわじわと伝わってくる温かさは確実にドイツの肌から心の底に到達し、ドイツの胸の奥から愛しさのようなものが噴き出した。
「犬もいいけど猫も好きなんだよなあ」
「にゃあ」
「どっちかにしろよ、ばかヴェスト。あんまし可愛いことばっかしてっと食っちまうぞ」
 くすくすけたけた、ドイツの反応が面白かったようで、プロイセンはひどく楽しそうに笑い声を上げた。かわいい、かわいい、とそればかりを繰り返す。
 きっとプロイセンは分かっていないのだ。ドイツがどれほどプロイセンのことを好きかなんて、分かっていない。そうに違いない、と思っていた。
 プロイセンはいつだってドイツにとって『いい兄』であろうとするし、『いい兄』であるがゆえにドイツを甘やかす。その甘さの中に含まれるものは紛れもなく愛だ。兄としての、家族としての愛が、零れ落ちそうなほどたっぷりと詰まっている。ドイツには、それが物足りなかった。
 なんて貪欲なのだろうと思う。兄も、自分も。
「あ、ばか、くすぐってえよ」
 髪に鼻先を突っ込むのをやめ、自分よりも細い体をぎゅっと抱きしめてその首筋に唇を押し付けた。唇を閉じたままキスをするだけでは物足りなくなり、口を薄くひらいて肌に歯を当てる。かぷ、かぷ、と猫が甘えるようにやわらかく噛みつき、その跡を舌の先でくすぐるようになぞった。くすぐったい、と呟く兄の、少しだけ困ったような声が可愛い。思わず「にいさん、かわいい」とそのまま口にしてしまうと、プロイセンの手のひらがドイツの腕をやわくつねった。
「かわいいとか言うなっつの。俺様は『カッコイイ』の、可愛いのはオマエ」
「兄さんの方がかわいいに決まっているだろう」
「ばーか。俺様の自慢の弟が世界一可愛いに決まってんだろ、世界中の誰だっておまえには敵わねえの。世界でいちばんのおにいさまである俺が言うんだから間違いねえ」
 ケセセセッ。特徴的な笑い方で、プロイセンが笑う。ドイツはこの笑い方をする兄が好きだった。誰よりも強く、誇り高く、何があろうとも揺るがない確固たる信念を抱いた兄の、自信に満ち溢れた笑い方が好きだ。勿論これ以外の、たとえば穏やかに目を細めて声を立てずにやわらかく笑うときの笑顔だとか、興味をひかれるものに熱中して子供のように笑う時の声だとか、そういったものも大好きだったが、やはりプロイセンらしい、この自信にあふれた独特の笑い方が一番好きだ、とドイツは思っている。
 俺の弟は可愛い。いちばん可愛い。何よりも可愛い。世界一可愛い。この世界に存在するものすべてが束になったところで敵うはずもないくらい、すごく、とっても、いちばん可愛い! プロイセンは憚ることなく笑いながら高らかにそう宣言し、両足をぱたぱたと振る。ぎゅっと抱きしめた体が更にドイツに体重をかけ、幼い頃はとても広く頼もしく思っていた背中がぴったりとドイツに押し付けられる。ドイツも負けじと両腕の力を更に強くして、一枚の紙すら挟めないほどぴったりと体をくっつけた。あまり体温の高くない兄の体は密着すればするほどドイツの体温が流れて行くかのようにあたたかくなり、そのせいかプロイセンが大きくあくびをする。つられてドイツもあくびをすると、兄はまた嬉しそうに楽しそうに笑い始めた。
「ほら、そういうトコが可愛いんだよ」
 ふん、と鼻を鳴らして勝ち誇るプロイセンにドイツは反論することをやめ、再び兄の髪に唇をつけて黙りこんだ。かわいいなあ、おれのおとうと、かわいい、かわいい。反論すればするほど、可愛い、という言葉を連ねて重ねてくるプロイセンには沈黙が有効だと思っての行動だったのだが、ドイツの予想に反してプロイセンはまだその言葉を続けた。
「かわいいヴェスト。俺の、かわいい弟。かわいいな、昔はちっちゃくて可愛かったけど、今はもっと可愛い」
「……可愛い、といったらちいさい頃のほうがそうなのではないのか?」
「うん? 何言ってんだ、ちっちゃいヴェストも可愛かったけど、今の方が可愛いに決まってんだろ。俺の傍で大きくなった、俺の自慢の弟なんだぜ。真面目で、変なとこ抜けてて、頭カタいくせにお人よしだから余計な苦労ばっかり背負い込んで、不器用で、すっげえかわいい。昔より今の方がかわいいし、今日より明日のほうがかわいいだろ。俺の可愛い可愛い、最高の弟」
 照れくさい言葉をうっとりと歌うように紡ぐプロイセンに、ドイツは自分の顔がどんどん火照っていくのを感じて、もう分かったから、と言葉を挟んで止めさせる。わかった、もう分かったからやめてくれないか、はずかしい。早口でそう呟いて、抱きしめたプロイセンの肩口に顔をうずめた。
「照れてやんの」
「当たり前だ、ばか」
「おまえ、ほんっと可愛い。俺の弟、なんでこんなに可愛いんだろうなぁ」
「……あなたの弟だからな」
「あーそっか、俺様の弟だから可愛いのは当然か、なるほどなあ」
 くすくす、くすくす、楽しそうに嬉しそうに笑う。ケセセ、と高らかに笑う声も好きだが、この笑い方をする兄も好きだな、と思った直後、結局のところ自分はどんなことをしている兄でも好きなのだろうという考えに至って自分で自分に苦笑せざるを得なかった。
 プロイセンの体をぎゅうぎゅうに抱きしめて肩に額を押し付けるようにして自分に呆れていると、兄の手のひらがぽんぽんと呼びかけるようにドイツの頭をやさしく叩く。それに引っ張られるように顔を上げると、ドイツの顔を覗き込んでくるプロイセンのまっかな瞳が視界いっぱいにひろがっており、にいさん、と声を出す暇もなく唇が塞がれてしまった。
 ちゅ、と触れるだけのキスに満足できず、唇を追いかけようとしたがプロイセンの手のひらでべちんと額を叩かれてしまい、それ以上追いかけることはできなかった。不満に口を噤むと、拗ねんな、と兄に笑われる。子供扱いされているという事実に更に不満を募らせると同時に甘やかされていることにくすぐったいような感情を抱いて、ドイツはどう反応したものかと困惑したまま兄を呼んだ。
「にいさん」
「なんだ、ヴェスト?」
「……兄さん」
「うん、兄さんだぜ。おまえの、一番のお兄ちゃんだ」
「兄さん、好きだ」
「知ってるよ」
「……にい、さん」
「はいはい、俺も好きだよ、俺のいちばん大切なヴェスト。甘ったれでばかでガキでどうしようもなく俺のことが好きでたまらないヴェスト」
 かわいいな、俺の弟は本当にかわいい、かわいい、……かわいい。甘ったるい言葉をくれる兄の声を聞きながら、ドイツは目を閉じる。自分より細い兄の体を抱きしめているのは自分であるにも関わらず、ドイツは兄の腕に抱かれ子守唄を歌われているときのようなあたたかい錯覚に陥った。ともすればこのまま眠ってしまいそうだ。
 ふあ、と隠すことなく大きなあくびをすると、俺はおまえの抱き枕じゃねえからな、と背中越しにくぎを刺されてしまった。分かっている、と口ではそう言ったものの、自覚してしまうと途端にくらくらと目眩のような眠気がドイツに降りかかり、また大きなあくびが出る。あたたかい部屋、本来はもっと低いはずだが自分と密着することであたたかくなった兄の体、兄のあたたかい声と、兄のやさしい言葉。意識を蝕む睡魔は、ひとのかたちをとらせたらきっと兄と同じ姿をしているに違いないと思った。
 眠い、と呟けばプロイセンは呆れたように溜息をつき、「子供ってやつはほんと、拗ねたり眠くなったり忙しいな」と穏やかに笑った。ほら、と促すように兄を抱きしめた腕を叩かれ、ドイツはその腕に込めた力を徐々に緩める。するりと両腕からプロイセンが抜け出してしまい、気に入っているおもちゃを取り上げられた子供のようにその姿を目で追うと兄は振り返ってドイツの髪をくしゃくしゃと撫でた。
 ソファーに座るドイツの隣に腰を下ろし、たった今ドイツの頭を撫でた手でドイツの体を引き倒す。半ば強引にドイツの頭はプロイセンの固い膝の上に乗せられる。
「ほれ寝ろ。言っとくけど一時間だけだからな、それ以上は認めねえ」
 乱暴な口調とは裏腹に、ドイツの頭に乗せられた手のひらは驚くほど穏やかに優しくドイツの髪をゆっくりと撫で、耳を澄まさなければ聞こえないようなちいさなちいさな声で、昔何度も聞いた子守唄を口ずさんでいた。
 このまま寝てしまうのは勿体無い、兄が決して他人には見せないような表情と声音にもうしばらく触れていたいと願いながら、ドイツは勝手に下りてくる瞼に抗えずゆっくりとその身を委ねていった。





end.












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 そうです彼らはリア充です。



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