夏に花咲く冬の恋






 兄に恋をしたのは、寒い冬の日だった。
 何の変哲もない日だ。気温はひどく低く、けれど雪は降っていなかった。窓の外はどんよりと曇っており、空と地面の境界があいまいだと、ドイツは思った。冬毛をたくわえた愛犬は足元で丸くなり、膝の上では黒い猫がのびのびとからだを伸ばして眠っていた。猫のくせに警戒心のないやつだ、と兄が笑った。
 暖炉の中で組まれた薪が燃え、パチパチと音を立てて爆ぜる。最新式のエアコンもハロゲンヒーターも購入済みだが、兄は暖炉で燃える炎を眺めるのが好きなのだと言って、頻繁に暖炉を使用していた。あまりエコではないな、とドイツが文句を言うと、少しだけ嫌そうな顔をされた。「おにーちゃんとエコのどっちが大事なんだよ」とむくれた表情で言われ、慌ててフォローしようとしたものの何を言っていいのか分からずに口を開けたり閉じたりしていると、プロイセンはけらけらと笑っていた。
 冗談だよ、と、兄がその赤い目を細めて笑った。それだけだった。
 プロイセンは目つきが悪い。それは弟であるドイツにも言えることなのだが、プロイセンの目つきの悪さは、ドイツの目つきの悪さとは質が違う、とドイツは思っていた。自分の目は他者に威圧感を与え、己の意思に反して他人を怖がらせてしまうことのある厄介なものだ。しかしプロイセンの目は、実に表情豊かな色をしている。色は、あか。光の辺り具合によっては、赤みの強いむらさきいろにも見える不思議な目だ。普段は子供のようにきらきらと様々な物を映し、時折興味深そうにその色が深くなる。かと思えば急に興味を失って別の物を探して、またプロイセンの気に留まるものを映す、忙しい瞳だ。悪戯を企む子供の目つきで笑った次の瞬間には、ふと遠くを、ドイツには見えないずっとずっと昔を眺めるような目つきで見つめる。
 それらは他者の前でも見せるものだったが、プロイセンはひとつだけ、ドイツの前でしか見せない目つきがあった。兄として、親として、ドイツを見つめる目だ。ひどく穏やかに、時に厳しく、そして誰よりも優しく、子を慈しむ親のようにやわらかな目でドイツを見つめる。
 子供のような目をしたプロイセンよりも、老賢者のような目つきでどこかを見つめるプロイセンよりも、ドイツはその目が好きだった。その目に恋をした。恋、なんてものをしたのは初めてだったから、それが本当に『恋』なのか自信は無かったが、ドイツにとってはそれが『恋』だった。はじめての、恋だった。
 男に、家族に、兄に恋をしたドイツが抱いた感情は、驚愕でも戸惑いでも疑問でもなく、ただ、納得だった。『あのひとならば、仕方ない』と、そう思った。
 プロイセンはドイツの兄だ。兄であり、父であり、母であり、すべてだった。ドイツの世界を構築したのはプロイセンで、言ってしまえば、ドイツはプロイセンが存在しない世界を知らない。必要としていない。ドイツはプロイセンのことが好きだった。唯一絶対、自分だけの騎士として、敬愛する兄として、ひとりの人として好きだった。親愛や敬愛に、恋愛が混ざったところで、ドイツは違和感を抱くことなどできなかった。
 にいさんが、すき。たったそれだけの短い言葉を呟いてしまえば、『それ』はドイツの胸の中にすとんと落ちてきて、パズルのピースのようにぴったりとそこにはまった。
 ある寒い冬の日、ドイツはプロイセンに恋をした。

 プロイセンに恋をしたところで、ドイツの生活に何か変化が現れることはなかった。
 毎日同じように起床し、仕事をして、イタリアの世話を焼き、日本に労われ、帰宅し、食事をとり、兄と会話をして、就寝する。変わったことと言えば、帰宅後に兄と言葉を交わすことが一日の中で一番の楽しみとなっていた、ということくらいだった。
「おかえり」
「ただいま、兄さん」
「お疲れさん。メシ出来てるぜ」
「いつもすまない」
「いーって、家のことはおにーちゃんに任せなさい。今日はいいビール買ってきたからよ、一緒に飲もうぜ」
「ビールか、いいな。ではすぐ着替えてくる」
「おう、早く来いよ」
 ずっと変わらない会話だ。何年も何十年も繰り返してきた、他愛のない会話。それが、ドイツにとって何よりも幸せで、心地良くて、兄と顔を合わせて言葉を交わすためなら毎日の疲れやストレスなどいくらでも耐えられた。
 それを幾度も繰り返すうち、季節は春となった。
 時折思い出したように冷え込む春はそれでも過ごしやすく、穏やかで温かい日差しが窓から差し込んできていた。庭の木は薄い黄色の花が咲いており、ああ、そういえばあれは何の木だっただろうか、とドイツがぼんやりしていると、背後から声をかけられた。
「何ボケーっとしてんだよ」
「……兄さん。すこし、考え事をしていただけだ」
「ふうん?」
 薄手のカーディガンを羽織り、プロイセンは片手に持ったマグカップの中身を零さないようにしながらソファーに腰を下ろす。ふう、と唇を尖らせてマグカップの中身に息を吹きかけ、ズ、と啜る姿をなんとなく目で追った。プロイセンはドイツの視線を気にするでもなく、もう一度、二度ほど口をつけてマグカップをテーブルに置いた。そのままごろりとソファーに横になり、携帯電話に手を伸ばす。最近、画面に直接触れて操作するタイプの携帯電話に変えたのだと、新しい物好きの兄が自慢していたのを思い出した。指の腹が画面を撫でるように滑っていく。羨ましいと、思った。
「兄さん、自分のコーヒーしか淹れなかったのか、薄情だな」
「あー? なんだよ、自分で出来んだろそれくらい」
「ついでに俺のぶんも淹れてくれたってよかっただろう」
「へいへい、すんませんでしたー。オマエってたまにやたら自分勝手だよな」
「何か文句でも」
「アリマセンヨー。ったく、しょうがねえなあ、お兄様が特別に美味いコーヒーを淹れてやるよ」
 携帯電話を放り出し、ソファーに寝そべらせていた体を起してプロイセンはキッチンに向かう。猫背気味に背を丸めて歩く兄の姿を見つめながら、それまで兄が寝転がっていたソファーに座って兄の携帯電話を見下ろした。
 ほとんど中身の減っていないマグカップには深い焦げ茶色が揺れていた。自分のコーヒーが冷めてしまうことも気にせず弟のわがままを叶えに向かう。プロイセンは、ドイツの兄は、そういう男なのだ。ドイツの口元に、ゆるく笑みが浮かぶのを抑えきれなかった。
 ドイツの気に入っているカップにコーヒーを注ぎ、プロイセンがリビングに戻ってくる。ほら、と手渡された淹れたてのコーヒーに口をつけ、Danke、と一言だけ言うと、プロイセンは穏やかに笑った。
「俺の弟は、ほんっとわがままだからなあ」
 くすくす、楽しそうに喉を震わせ、少しぬるくなってしまった自分のカップを手にとって口をつける。まぶたが少し下り、赤が細められる。ドイツの好きな表情だ。ゆるやかに空気に触れるような、花を撫でる風のような、穏やかな目つきの笑顔。その顔を見るたび、ドイツは、ああ、好きだなあ、と胸のうちで呟く。呟きは形になることはなく、唇から落ちる甘いため息はコーヒーの黒い水面に溶け、それを飲み下すことでもう一度己の中に取り込んだ。
 ドイツは、プロイセンのことが好きだった。
 なぜ好きなのか、と考えたことは無かった。それが当然だったからだ。どこが好きなのか、と考えたことならあった。けれど、結局はっきりとしたことは何も分からず、とにかく兄が、プロイセンが好きなのだということだけが胸にあった。それだけでいいと思った。

 春は駆け足で過ぎ去り、夏が訪れた。
 プロイセンは体温調節が苦手なひとで、あまり汗をかかない。それでいて平熱が低いものだから、気温が高いと熱を体内にため込んで体調を崩すことがよくあった。水分を多く取り、できるだけ日陰に、できるだけ涼しい場所に、けれど体を冷やしすぎないように、と兄に口うるさく言った。ハイハイ、と聞き流すプロイセンは子供のようで、どちらが兄なんだか、とため息をつくと額を指で弾かれた。
「こら、おにーちゃんにそういうこと言うんじゃありません。俺のほうが兄さんに決まってんだろ」
 妙なところでプライドの高い人だ。
「す、すまん……?」
指で叩かれた額を押さえると、その手を掴まれて額に唇を押し当てられた。
「分かればよろしい。あ、おやつの時間だぜー! このまえ日本に抹茶アイスを貰ったからな、それ食おうぜヴェスト」
「ああ、先に行っていてくれ。俺の分まで食べないように頼むぞ」
「わーってるよ」
 ばたん、と乱暴にドアを開けて部屋を出て行くプロイセンの足音が消えてから、ドイツはにやける口を大きな手のひらで押さえ、声にならない声を上げた。
 油断していた。ドイツはプロイセンに恋をしていたが、それ以上にプロイセンを兄と認識していた。プロイセンがドイツにとって兄であることは世界のどんなルールよりも当然のことであったから、他人よりもずっと近い距離であることに疑問も違和感も抱いたことは無かった。完全に油断していた。近いことに何の意識も抱いていなかったから、それがさらに近くなっても気付けなかった。
 額にキスをされた、それだけでドイツの心臓はばくばくと音を立て、よろけた拍子に壁に背中がついた。抱きついたり寄りかかったりする日常的なスキンシップには慣れていたし、キスも頬にする挨拶のキスは特に何とも思わず(嘘だ。いつも一瞬だけ心臓が痛いくらいに跳ねるのを抑えて平気な顔をしていた)交わしていたが、これは予想外だった。顔が熱い。
 些細なことに動揺するたび、ああやはり兄に恋をしているのだ、と再確認してしまう。普段は気に留めず、すぐ近くで生活しているから尚更だ。すき、すき、すき。すき、とたくさん書かれている心の塊が、ぽろぽろと溢れだしてしまいそうになるのを必死で堪えた。
 ドイツは幾度か呼吸を繰り返し、熱くなった顔の熱を、反比例するように冷えた指先で奪いながらプロイセンのいるリビングに向かった。

 リビングにある大きなソファーは、プロイセンの気に入っている場所の一つだった。いつもそこに身を沈め、携帯電話をいじったり、テレビを見たり、犬と昼寝をしたり、猫と戯れたりしている。兄の居場所だった。プロイセンはいつものようにそこに座り、猫を撫でながら目を伏せていた。長い睫毛が影を作る。
 その手にもテーブルにもアイスのカップは無く、もう食べて片付けてしまったのだろうか、と思いながら一度キッチンに引っ込む。冷凍庫を開け、ひやりとした冷気の中に手を突っ込んで自分の分のアイスを出そうとして、止まった。日本に貰ったアイスは、ふたつ。冷凍庫の中にあるアイスも、ふたつ。
 待っていてくれたのだ。自由で自分勝手で気まぐれなプロイセンが、弟のドイツが来るのをソファーに座って待っていてくれた。プロイセンの、兄の、こういうところが、ドイツは好きで好きでたまらない。
 アイスのカップをふたつと、スプーンを二本持ってリビングに戻ると、おせえぞヴェスト、と文句を言われた。すまない、と呟くように謝りながらプロイセンの隣に腰を下ろすと、即座に白い猫が膝の上に乗ってきた。白い猫の弟分のような存在である黒い猫はといえば、プロイセンの膝の上で彼の指に齧りついている。猫じゃらしの代わりに自分の指を使って猫と遊んでいたのだろう、プロイセンに遊び相手を取られてしまった白い猫はドイツの膝の上で丸くなった。アイスとスプーンをひとつずつ兄に差し出し、アイスのカップのふたを開けて銀色を刺した。淡く渋い緑色を口に運び、冷たさが舌の上で溶ける。
「はー、アイスうめぇー……」
 隣を見ればプロイセンがスプーンを握りしめてにこにこと目を細めていた。かわいいな、と、無意識にそう思った。アイスを掬ったスプーンをくわえては幸せそうに笑うプロイセンの唇に視線が向かってしまい、慌てて目を反らした。あの唇に噛みついたら嫌われてしまうだろうか。それは困る、というか、それを想像しただけで泣いてしまいそうだと、ドイツはスプーンをくわえたまま思っていた。嫌われるのは、嫌だな。出来ることなら好きになってほしいと、思う。
「ん? どうした?」
「……え、ああ、なんでもない。考え事だ」
「最近そればっかだな。どした? なんかまた抱え込んでんだろ。オマエは頭がいいのにバカだからなあ、おにーちゃんに言えることなら相談したっていいんだぜ」
「あなたにだけは相談できない内容だな」
「なんだよそれー、おにーちゃんが信用できねえっての?」
「日頃の行いが行いだからなあ……」
 くすくす、冗談めかして笑いながらまたアイスをひとくち。出来ることなら好きになってほしいと思うものの、けれど、だからといって積極的にそのような働きかけを出来るほど、ドイツは器用ではない。その上、プロイセンのことに関してはひどく臆病であることを自覚しているため、自ら距離を取る癖がついてしまっていた。好きになってほしい、気付かないでほしい、そばにいたい、近付くのが怖い。ぐずぐずと腐り落ちてしまいそうな思いが渦巻いて、ドイツの中にくすぶっていた。
 手の中のアイスのカップは汗をかき、手のひらを濡らす。溶け始めたアイスを掬って、多めに口に入れると口の中が冷えて舌が凍えた。
自分の体温が少し下がっているのを感じ、ドイツはエアコンの設定温度を一度上げた。プロイセンよりも体温の高い自分が肌寒さを感じるのだ、平熱の低い兄の体が冷えてしまっては困る。そう思ってエアコンの冷気を緩めると、ドイツの横でプロイセンは声を抑えきれず、といったふうに笑っていた。
「……何を笑っている」
「や、うーん、オマエは優しいなって」
「は?」
「っていうか、そうだな、んー……もうちょっと知らないフリしてやりてえなあ」
 心臓が冷えた、ような気がした。
「なんの、話を――」
 言葉は途中で遮られた。言葉を発するための器官は塞がれなかったが、喉が詰まったような、唇が固まってしまったような、そんな錯覚に陥って、言葉を発することはできなかった。頬に、くちびるが触れる。
 本当は、プロイセンの顔が近付いてきたとき、ドイツは期待した。もしかして、と思うほどの時間も余裕もなかったが、それでもどこかほんの僅かだけ、期待が灯っていた。唇に、唇が触れるのではないか、と、感じていた。その期待は淡く裏切られたが、それでも十分ドイツの頭を混乱させる状況にはなっていた。プロイセンの唇が、ドイツの頬に触れ、すぐに離れる。何か言おうと唇を開き、プロイセンをあおく見つめると、手の中に合った冷たいカップをそっと奪われ、プロイセンはそれをテーブルに置いてからその少し濡れた手でドイツの頬を触る。両手で挟むようにして掴まれた顔をぐっと引っ張られ、にいさん、と言葉を作ろうとして、今度こそそれは物理的に封じ込められてしまった。
「っん、んぅ……ッ!」
 あかい目がドイツのあおい目をまっすぐに見つめてきて、ドイツは兄を振り払うことも抗うこともできないままその目を見つめ返した。それしかできなかった。突然のことに身を固くすることしかできず、引き結んだままのドイツの唇を舌先で撫でてから、プロイセンの唇は離れて行く。にいさん、と、ドイツがやっとのことで搾りだせた言葉はそれだけだった。
「ほんとはもうちょっと知らないフリしててやりたかったんだけどな。ヴェストさあ、俺のこと好きすぎ」
「なん、で……」
「俺様はおにーちゃんだぜ? 弟が何考えてるかくらい分かるっての。いっつも俺のこと見てるし、顔中に『兄さんだいすき』って書いてあるし、俺のこと気にしすぎだし、……っていうか、好きな奴がこっち見てたら気になるだろ」
 眉を少し下げ、困ったように笑う。ドイツがわがままを言ったときのような、ドイツが無理をしすぎて体調を崩したときのような、弟に手を焼きながらも心の底から慈しんでいるときの笑い方だ。ドイツはその笑い方をするプロイセンのことも好きだった。
「……すきだよ、ヴェスト」
 一瞬のためらいの後、舌に乗せられた言葉はドイツの耳に届く。いつも自由で自分勝手で傲慢なプロイセンらしからぬ、少しだけ怖がるような声。それでいて、少し照れたような、戸惑いを含んだ笑み。そのどちらもドイツは初めて見るもので、一瞬だけ、呼吸をするのを忘れた。
 ドイツの膝の上から猫が降りる。視界の端で捉えたのは、白い猫と黒い猫がトコトコ足音を立てて部屋の隅へ移動してしまう姿。それもすぐ、目の前を赤と銀が埋め尽くして見えなくなってしまった。身構えて唇を引き結ぶドイツの予想(あるいは、期待)に反し、プロイセンの額がドイツの額にこつんと当てられただけだった。すぐ近くで声が唇に触れる。
「俺のドイツ。俺の弟。俺の王様。俺の、すべて。ずっと昔からおまえのことだけ大好きだよ、たぶん、おまえの持ってるのとおんなじ『好き』」
「……ぁ、あ」
「んー? ヴェスト、聞いてるか?」
 視界いっぱいに広がっていた赤が離れ、プロイセンの手がドイツの頬を軽くつねる。痛みは無いが、先程唇が触れた場所を今度は指先が触れている、と思うと、ドイツは胸が詰まるような感覚に襲われた。
 それから、何よりも、頭がプロイセンの言葉についていかない。
「に、……いさん?」
「おう、兄さんだぜ。おまえのおにーちゃん、軍事国家プロイセン王国様。世界よりもおまえのことを愛してる、おまえの一番の兄貴だ。……やっぱ、言わない方がよかったか? 嫌だったら聞かなかったことにしていいからな」
 ぽんぽん、とプロイセンの手にドイツの頭を数度軽く叩かれる。何か言わなくては、と思うのに、喉に異物が詰め込まれたように上手く言葉が出ない。呼吸すら出来ているかどうか分からなかった。
 ――これは、誰だ。プロイセンだ。兄で、家族で、好きなひとで、それから、……それから? それから、何だと言うのだろう。
 ソファーから立ち上がろうとしたプロイセンのシャツの裾を、ドイツは咄嗟に手を伸ばして掴んだ。プロイセンは無言のままドイツの隣に座り直し、困ったように溜息をつく。どうした? と問う声は、穏やかな色をしていた。
「あ、なたは……あなたは、卑怯だ」
 ようやく絞り出した声は言葉となり、形を取ったそれはドイツの口からぼろぼろと溢れて止まらない。涙さえ滲んできそうなほど、自分の感情がコントロールできないまま、ドイツは俯いて言葉を零した。
「卑怯だ、兄さん。あなたはプロイセンだろう、自由で、自分勝手で、奪うことでその命を繋いできた、プロイセンのくせに……! それなのに、なんだそれは、どうしてそんなことが言えるんだ、あなたは、あなたは卑怯だ。自分勝手なくせに、頭がいいくせに、そうやって、いつもいつも、一番大事なところだけは俺に委ねる」
 本当は、こんなことを言いたいわけではなかった。好きなひとに、好きだと言われた。その事実を受け止めて、うれしい、ありがとう、と言って両手を伸ばして抱きしめればそれでよかったはずなのに、口から落ちて行ったのは戸惑いに身を染めた言葉だった。それが出来ないひねくれた自分と、それをさせない狡賢いプロイセンに腹が立った。
 プロイセンはしばらくの沈黙ののち、シャツを握りしめて白くなっているドイツの拳にそっと自分の手を重ねた。拳を開かせ、くしゃくしゃになったシャツから手を離させて、その手を握る。ドイツの手に、プロイセンの低い体温が流れ込んできた。
「ごめんな。でも、おまえの言葉で言ってもらわないと意味がねえんだ。ヴェスト、おまえが好きだよ。……おまえは?」
 かさついた唇が、ドイツの指先に触れる。僅かに指先をくすぐる吐息に言葉を詰まらせながら、ドイツは口を開いた。
「すき、だ……」
 堪え切れなかった涙が落ちる。シャツの袖で乱暴に拭ってから、俯こうと重たくなる頭を必死で持ち上げ、揺れる青でプロイセンの目をまっすぐに見つめた。
「兄さんが、好きだ。すきに、なってくれて……ありがとう」
「はは、ばーか。それは俺の台詞だ。好きになってくれてありがとな、ヴェスト」
 泣くなよ、と指の腹で涙を拭われ、目を閉じた隙に呼吸が奪われた。目を開けると、赤い目を隠すまぶたが目の前に見えて、ドイツももう一度まぶたを下ろす。唇に舌が触れ、躊躇いがちに薄く開くとゆっくり侵入してきた。初めての深く触れ合うキスにドイツは戸惑い、同時に、またまぶたの裏に涙が溜まるのを感じた。
 ドイツの恋は冬に目覚め、春を越して、夏に咲いた。秋は、まだ来ない。












END.



















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 たとえば、こんなはじまり。



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