窓の見る日常




 広間のほぼ中央、大きな窓から穏やかな昼の光が差し込む陽だまりで、兄弟は仲睦まじくチェス盤を囲んでいた。細身の机を挟んだ向こう側でソファーにその小さな身を沈め、真剣な顔つきで盤上を睨みつける弟を、プロイセンはひどく穏やかな眼差しで見つめていた。扉や壁の傍で控えている使用人たちも、その幼い主の懸命な姿をどこか穏やかに眺めた。
「ん……と、敵がこうきているから……ナイトを、こう」
 ことん、とチェスの駒を動かす小さな手のひらを慈しむように見つめて、けれど口の端をまるでヒールのようににんまりと歪めた。
「ハズレ。惜しいなヴェスト、敵の動きを読めているなら、何でここの伏兵に気付かねえんだ」
「あ、っ!」
 チェックメイト、と黒い駒が白のキングに止めを刺した。その瞬間にドイツの敗北が決定し、プロイセンの幼い弟は、ああ、と溜息を漏らしながらばふっとソファーに深く沈んだ。
 王の倒された戦場を恨めしげに睨み、にいさんには勝てない、と悔しげに呟いた。
 プロイセンは立ち上がり、机を迂回してそんな弟を両手で抱き上げる。大人しく腕の中に納まるドイツの柔らかな頬に何度もキスを落としてやると、ドイツはくすぐったそうに目を細めてそれを受け止めた。
「まだ読みが浅いぜヴェスト。でも展開自体は悪くなかった」
 本当? と兄を見上げるドイツに、プロイセンはもう一度キスをする。
「ああ、さすが俺のヴェストだ。俺様自慢の弟なだけはあるぜ」
「じゃあ、もう一度やろう。こんどはもっと兄さんをおいつめるからな」
「はははは! 期待してるぜ、ヴェスト。手加減しねえから覚悟しろよ」
 兄はよく笑う人だと、ドイツは思っている。
 戦場での兄のことはよく知らないが、少なくとも、家の中で自分と一緒にいるときは暗い顔などほとんど見せない、強い人だと思っている。話しているとき、抱きしめてもらっているとき、兄はいつも自分に笑いかけ、優しいキスをくれる。
 気持ちを言葉にすることをあまり得意としない幼いドイツに出来るのは、こうして抱きしめてキスをくれる兄に、拙いながらにキスを返すことくらいだ。小さな手をいっぱいに伸ばし、プロイセンの頬に唇をつける。
 一瞬、きょとんとドイツを見つめるもすぐにくしゃりと笑い、プロイセンはさらに強くドイツを抱きしめた。
「あーっもうマジ可愛い! ほら、こっちも」
 反対側の頬を差し出され、ドイツは大人しくそこにも唇を触れさせる。ちゅ、と可愛らしい音を立てて離すと、プロイセンはとても嬉しそうに何度もドイツを呼んだ。そのひとつひとつに応えながら、ドイツもプロイセンにしがみつく腕の力を強くする。それに気をよくしたのか、ドイツの濃い桃色をした小さな唇にもプロイセンの唇が触れた。
 ん、とくすぐったさに身をよじり、けれど素直に受け止めながらドイツも一緒に笑った。
「っくぁー! おまえ俺のこと殺す気だろ!」
 ドイツを抱きかかえたまま、どさ、とソファーに腰を下ろす。乱暴に腰掛けたソファーが二人分の体重に少し軋んだが、プロイセンは気にせず弟を膝の上に乗せてその頭を撫でていた。
「……ん、と…兄さんのこと好きだから、殺せるわけない。それに、俺の実力ではまだ兄さんにはかなわないと思うぞ」
 幼さゆえの的外れな返答に、プロイセンはばたばたと足を動かし、無言のまま何かに耐えるように弟の頬に頬擦りした。すべすべでほとんど傷のついていない柔肌に、やっぱりもう一度キスをする。
「っはー、マジ可愛い。だめ、俺様マジ死ぬかも」
「し、死んでしまうのか?」
「あー、ヴェストが『お兄様大好き』って言いながらここにチューしてくれたら死なないぜ」
 とん、と自分の唇を人差し指の腹で叩き、プロイセンはにんまりと笑った。ドイツよりもずっと年上のはずなのに、その笑顔は悪戯を目論む子供そのものだった。
 冗談を冗談と受け取れない子供は、必死に両腕を広げて兄の首に抱きつく。精一杯背伸びをして、きらきらと宝石のようなあおい瞳いっぱいに兄を映し出した。
「おにいさま、だいすきっ!」
 しんじゃやだ、と懸命に『大好き』を繰り返す幼い弟に、プロイセンはしばらく声も出せないまま足をばたつかせてドイツを抱きしめていた。

 とろん、と甘ったるい二人の世界を形成していたプロイセンとドイツの間に、ドアをノックする音でもって亀裂が走った。
 プロイセンは苦々しい顔でひどく嫌そうに、入れ、と短く告げる。いついかなる時も、部下や使用人からの情報は受け取らなければならない。国として、民を支えるものとしての義務だった。
「プロイセン様、お客様が……」
「ちぇ、何だよ。せっかくヴェストといちゃいちゃしてんのに。……誰だ?」
 ドイツには聞こえないほどの小声で来客の名を告げられたプロイセンの体が、ひくりと強張った。それを全身で感じ取ったドイツは、兄の顔を不安げに見上げる。先程まで自分をどろどろに甘やかしていた、優しくて大好きな兄の顔は、もうそこにはなかった。
 そこにいるのは、民を、土地を、時には王すらも統べるプロイセンという国。険しい顔つきのその姿は、ドイツにとっても見慣れたものだった。戦場へ出る準備を終えた騎士が、そこにいた。
「に、いさ……ん」
「悪いなヴェスト、ちょっと行ってくる。すぐに戻ってくるから待ってろよ」
 プロイセンの大きな両手が、ドイツを膝の上から下ろしてしまう。くしゃくしゃと髪を撫でられ、ドイツは小さく頷いた。それを見たプロイセンは僅かに揺らいだ表情を見せたが、すぐに引き締めてドイツに背を向けた。
 カツカツと高らかなブーツの音を立てながら部屋を出て行くプロイセンの後姿を見つめながら、ドイツは彼に気付かれぬよう小さな小さな溜息をついた。
 出て行く直前、兄はメイドに声をかけ、弟の相手を命じる。控えていたメイドが二人、幼い主の傍に寄り添った。
「ドイツ様、おやつにいたしましょうか」
「ああ……。んと、すまない、少し待ってくれ」
 お茶の用意を始めるメイドに声をかけ、ドイツはその小さな手のひらをテーブルの上のチェス盤に向けた。几帳面で丁寧なこの幼子にしては珍しく、どこか投げやりな手つきでチェス盤を片付けるドイツに、メイドは困惑した。確か先ほど、もう一戦すると言っていたのに。
「宜しいので?」
 控えめにそう声をかけると、ドイツは外見にそぐわぬ大人びた表情を見せた。諦観と、ほんの少しの落胆。それは、子供がするにはあまりに不似合いなものだった。
 いいんだ、と小さく呟くドイツはかたく拳をにぎりしめ、僅かに震えていた。
「兄さんはいそがしいから」
 ひとで言えば、まだ十かそこらの幼い子供が、まるで己に言い聞かせるかのように『いいんだ』と繰り返す。この子供は、プロイセンがああして忙しなく出て行ってしまってはもうしばらく帰ってこられないというのを知っていた。幾度も重ねてきた些細な裏切りには、もう慣れていた。きっと兄はもう戦うための装束を身に纏い、剣と銃を携えているのだろう。
「俺を守るために戦っている兄さんに、わがままなんて言えないから。だから、俺にかまわず仕事をしてほしいんだ」
 自分の感情をコントロールすることが苦手なはずの子供が、こんなにも理性的な台詞を紡ぎ、無理しているのがありありと分かってしまう笑顔を浮かべる姿は、痛々しくもあった。メイドは何も言えず、はい、と頷くことしかできなかった。
 沈痛な空気を叩き割ったのは、普段あまり聞きなれない一人の男の声。

「呆れましたね。プロイセンはいつもあなたに寂しい思いばかりさせているのですか?」
 ドアの方に振り返ると、隣人オーストリアが呆れと怒りの入り混じったような顔で腕を組んで立っていた。理知的な印象を与える眼鏡のフレームに触れながら、本人の言葉どおり呆れきった表情を隠そうともしない。
「オーストリア!」
「お久しぶりですね、ドイツ。ノックもなしに部屋に入ってしまった非礼を詫びます」
 ぱたぱたとオーストリアに駆け寄ると、彼はその細い腕に見合わぬ力強さでドイツを抱き上げた。ドイツも大人しく抱えられ、ちゅ、と頬に挨拶のキスが降ってくるのを戸惑いながらも受け止めた。
 オーストリアの腕の中から降ろされないまま、至近距離で彼はドイツに話しかける。
「また少し成長しましたね。最近はあまり姿を見ませんでしたから、心配していたんですよ。たまには顔をお見せなさい」
「わ、わかった。それよりオーストリア、今日はどうしたんだ? 兄さんなら今は出ているが」
「あなたの顔を見に来たんですよ。それに、彼との用事はもう済みましたから」
 え、と問い直すよりも早く、蝶番を弾き飛ばす勢いで豪快にドアが開かれた。ばんっ、と乱暴な音にオーストリアは眉をしかめ、ドイツは小さな体をびくりと竦ませる。ドイツがオーストリア越しにドアを覗き込むと、そこには兄の姿があった。
 しかしドイツの予想した軍服姿ではなく、先程まで自分を抱きしめていたときとほとんど変わっていない普段着のまま。変わったところといえば、上着を羽織り、いくらか仕事じみた服になっているだけ。もしかして、出かけないのだろうか、と淡い希望がドイツを包み、ほんの僅か口元を緩ませた。
「てめえオーストリア! げっ、俺のヴェストを抱っこしてんじゃねーよ、眼鏡がうつるからやめろ!」
 肩を怒らせ、ぎゃあぎゃあと喚くプロイセンに対し、オーストリアは涼しい顔で受け流している。
「客人に対して礼を失していますね。お下品な」
「こんのくされ貴族……誰が客だ。もう用は済んだろ、さっさと帰れよお坊ちゃん。書類はあとで送るし、道に迷うってんなら家の者に送らせるからマジ帰れ」
 どっかりとソファーに腰を下ろし、乱暴に上着を脱ぎ捨てる。メイドが慌ててそれを拾い上げ、埃を払って片付けるのを、ドイツはくるくると見つめていた。混乱しているのだろう。え、という戸惑いの声ばかりが上がる。プロイセンの言葉から、先程告げられた来客はオーストリアで、どうやら戦場に駆りだされる内容の話ではなく既に用件は済んでいるのだろうということだけはなんとか察することが出来た。
 やっとのことで、にいさん、と小さく呼ぶと、兄は先ほどまでオーストリアに向けていた凶悪な表情から一転、きらきらと弟を慈しむ笑顔に変わった。
「待たせて悪かったな、ヴェスト」
 いつもの兄の姿に安堵し、ドイツはこくこくと首を縦に振る。しかし、兄がテーブルに目を向けた途端、ドイツの幼い表情が強張った。あ、と小さな声が上がったのに気付いたのは、至近距離にいたオーストリアだけ。
「ん、……ヴェスト、チェスはどうした?」
「あ、あの……にいさん、その……片付けてしまって」
「片付けた? 何でだよ」
「えと……だ、だから……」
 しどろもどろになりながら必死に言葉を紡ぐドイツを見かね、オーストリアは幼子の額にキスをしてその言葉を途切れさせてからその先を紡いだ。
「あなたが出かけてしまうと思ったからですよ、このお馬鹿さんが。あなたはいつもそうやって慌しく飛び出しては夜中まで帰ってこないのでしょう? ドイツに寂しい思いばかりさせて」
 てめえには聞いてねーよ! という喉まで出かかった言葉が、その場で言葉になる前にぐしゃりと潰れた。
 返す言葉など、見つかるはずがなかった。オーストリアの言ったことは事実で、普段から急に仕事が入ることの多いプロイセンは、家でドイツと共にくつろいでいるときでも呼び出されればすぐに仕事へと走っていく。上司への忠誠心の高さゆえ、弟に寂しい思いをさせることもしばしばあった。
 ぐ、と言葉に詰まるプロイセンを尻目に、オーストリアはくるりとプロイセンに向き直る。抱きかかえているドイツからは全く兄が見えない状態を作り出した上で、優しく穏やかな口調でドイツにゆっくりと語りかける。
「私の家においでなさい、ドイツ。私なら寂しい思いはさせませんよ。いつでも抱きしめて、甘やかして差し上げます」
 それに、と言葉を継ごうとして、ざくざくと己に刺さる殺気立った視線にオーストリアは苦笑した。今自分の腕の中にいる、彼の最愛の弟が見たら泣き出してしまいそうなほどに怒りと殺気を孕んだ、戦場でまみえたときのような形相をしていた。
 おい、と想像以上に低く押しつぶした声に視線を合わせると、ぎらりと煌く赤い瞳がオーストリアを射抜く。
「それ以上言ってみろ。冗談だって分かってても、俺は今すぐこの場で剣を抜くぜ」
「おや、穏やかではありませんね。物騒でお下品なあなたらしい。けれど、私が武器も持たず単身で動くとお思いですか?」
「……ハッ、上等じゃねえか」
 ぴんと張り詰めた空気が、部屋を支配する。控えていたメイドたちも、影を縫いつけられたかのようにその場から一歩も動けなくなっていた。何かがその空気を揺らしただけで、血が舞う。まさに一触即発といった空気の中。
 ――べちんっ、と間抜けな音が響いた。

「……何をなさるんですか」
 その小さな手のひらは意外と力強く、ひりひりと痛む額を片手で押さえながらオーストリアは恨めしげに腕の中の小さな影に視線を落とした。
 先ほどの間抜けな音を発生させた張本人は何食わぬ顔でもう一度その額をべちんと叩く。
「いたっ」
「オーストリア、兄さんの性格はしっているだろう。無意味に挑発するのはよしてくれ」
 ぐっと短い両手がオーストリアの胸を突っぱね、降ろせ、と無言で抵抗してくる。仕方なく小さな両足を床につけさせてやると、今まで腕の中に抱いていた幼い子供は可愛らしい足音を立てて兄のほうへと駆けて行った。
 げらげらと勝ち誇ったような高笑いを上げるプロイセンにぎりぎりと奥歯を噛み締めたが、オーストリアのその悔しさも次の瞬間霧散することになる。
 べちんっ。
 おいで、と両腕を広げて弟を迎え入れようとした兄の額にも、ドイツの幼くも力強い手のひらが振り下ろされた。予想していなかった衝撃にプロイセンはそのまま床にしゃがみこみ、声にならない声で呻いていた。
「兄さんも兄さんだ。冗談をまにうけてオーストリアにけんかを売るのはやめろ」
 わかったか、と腰に手を当てて、まるで子供を叱る父親のようなポーズの幼子に、プロイセンは「……ハイ」としか返答できない。小さな子供に逆らえずたじろぐ大人二人の姿は、どこか滑稽で、どこか微笑ましくもあった。



 オーストリアを家のものに送らせ、ようやく家の中に平穏が戻ってきた。
 ドイツはソファーに身を沈めて、冷めた紅茶を飲みながらちらりと隣をのぞき見る。視線の先には、唇を尖らせ、明らかに拗ねている兄の姿があった。
 人払いを済ませた広間には既に夕日が差し込み始める時間になっており、ぼんやりとランプの明かりが兄の横顔を浮かび上がらせていた。
 にいさん、と小さく呼びかけるも、無言のまま紅茶を音もなく口に運ぶ兄にドイツは困り果てていた。どうしよう、さっきはさすがに言いすぎてしまったかもしれない。そればかりがぐるぐると回っていた。
 しかし実際のところ、プロイセンは特に怒ってなどいなかった。確かに先ほどは少々腹が立ち、拗ねたりもした。しかしそれ以上に、自分を怒らせてしまったのだろうかとちらちら視線をこちらに向けてプロイセンの様子を窺ってくるドイツが可愛くて、怒ったようなふりを続けているだけに過ぎない。
 しかしドイツにはプロイセンのそんな子供じみた目論見など伝わるはずも無く、ただ戸惑い、けれど何か行動を起こすことも出来ずにソファーに沈んでいた。
 空になったティーカップをテーブルに置くタイミングが、兄と重なる。
「ヴェスト」
 びくんっ、と細い肩が揺れ、ちらちらとこちらを見ていたあおい瞳が、おずおずとプロイセンに合わせられる。不安げに青が揺れ、少し潤んでいるようにも見えた。
 にいさん。そう小さく小さく声を形にするドイツに、プロイセンは傷だらけの手をゆっくりと差し伸べた。ドイツはそれに怯えたように肩を竦め、身を引く。しかしそれでもプロイセンは指先をぐっと近づけ、戦場での彼を知るものが見れば驚くほどに優しい手つきで弟の柔らかい頬に触れた。
 顔を上げず、視線だけでプロイセンを見上げるドイツを怖がらせないよう、細心の注意を払って手のひらでドイツの頬を包む。そっと力を込めて顔を上げさせ、薄くひらいた唇に甘く口付けた。
「ん、ぅ……ッ」
 プロイセンは頬に触れていない方の手をドイツの背に回し、距離を縮める。一度唇を離して両手を広げてやると、ドイツは甘えるようにプロイセンの腕の中に納まり、胸の辺りにぎゅっと抱きついた。膝の上に弟を抱き上げ、とんとん、と背中を叩いてやる。
「にいさん……兄さんが、俺のこと大事におもってくれてるのは分かってるんだ」
「ん、そっか」
「でも、けんかしないでほしい。戦うのは……仕事だし、必要なことだ。でも、けんかは……俺のせいで、兄さんにつく必要のない傷が増えるのは、嫌なんだ」
 胸元に擦り寄る弟が、訥々と語る言葉にプロイセンは言葉を失った。
 ――ああ、俺は本当に愛されてる。
 幼い子供の向けてくる愛情が、じんわりと染み込んでくるような気がした。
「ごめんなヴェスト。喧嘩はほら、趣味みたいなもんだしさ、オーストリアもそこら辺分かってると思うぜ」
「……でも、嫌だ」
 ぎゅう、としがみつき、ドイツにしては珍しいほど子供っぽく甘える姿。普段は見た目の幼さよりずっと大人びた物言いと態度であるからこそ、さらに子供じみて見えた。やだ、と金の髪を揺らして首を横に振る弟を、赤ん坊をあやすようにして背中を何度も軽く叩いた。
「優しいな、俺の可愛いヴェスト。分かった、もう無意味な喧嘩はしねえから」
 だから、泣くなよ。プロイセンはそう言って、ドイツ自身も気付かないうちに目尻に浮かんでいた涙を指先でそっと拭ってやる。ないてない、との抗議の声は聞こえないふりをした。

「ヴェスト」
「なんだ?」
「大好きだぜ、俺の可愛いヴェスト」
「……しっている。俺も、兄さんがだいすきだ」
 もしも幸せに形があるとしたら、きっとそれはこの子供の形をしてるんだろう。そんな甘ったるい、愛しさに溢れたことを考えながら、プロイセンは腕の中の幸せの形をした小さなぬくもりを抱きしめる。
「チェス、続きしような」
「うん……でも、まだ」
「わかってる。……頼まれたって、まだ離してやんねえよ」
 まだはなれたくない。唇だけでそう呟く愛しい弟の髪を、プロイセンは優しく撫でた。
 日が暮れ、窓の外の西空は藍色に表情を変える。ランプに浮かび上がる影の唇同士が重なり、兄弟は顔を見合わせて笑った。


















end.
































+++
 どうも墺さんを絡めるのが好きらしいです。
 おかしいな……子供に逆らえない大人二人を書くはずだったのに、気付けばただの甘めな普子独に……なぜでしょう。
 久しぶりにエロの無い話を書きました。



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