遠隔操作
※冒頭に普受け表現あり。
何も無い空間には、ただ兄だけがいた。
一部の隙もなく着込まれた軍服。兄は怯えきった表情でこちらを見て、その震える唇で名を紡いだ。彼しか呼ぶことの無い名。
「ヴェスト……や、やめろ!」
「……オスト」
熱に浮かされたような己の声に驚く。そっと手を伸ばすと、兄はびくんっと体をすくませ、今にも泣き出しそうな目でこちらを見つめてきた。本人はもしかしたら睨んでいるつもりなのだろうか。本来は目つきが悪くて睨まれれば恐ろしいのかもしれない。けれど怯えの浮かんだその目で睨まれても、全く効果などなかった。
乱暴にネクタイをつかみ、身をよじって逃げようとする兄の唇を乱暴に塞いだ。がち、と歯がぶつかり鈍い痛みが走る。苦しそうな兄の呻き声に、ぞくぞくした。
「んぐ、ぅっ……んぁ、は、ヴェスト、やめ、ろっ!」
嫌がる兄の体を、冷たくも温かくもなければ、柔らかくも硬くもない床に無理矢理押し倒す。衝撃に目を瞑る兄の服をほぼ引き裂くように強引に脱がせ、はだけさせていった。昔はもっと広くて大きく逞しかった体が、今は自分よりずっと白くて細くて頼りない。その記憶とのギャップにめまいさえ覚えながら、その肌にくちづけた。
ひく、とちいさく反応を示す体を慈しむように愛撫する傍ら、太い指で兄の体内を犯していった。ひろげて、おしこんで、こすりあげる。そのたびに兄は甘ったるい悲鳴をあげながら、拒絶と制止の言葉を吐き続けた。
「や、いやだ……やめろ、なあヴェストっ! いや、やめてくれ……っひァ、あっ…やめろ、よぉ……っ!」
ぼたぼたと涙を惜しげなく零しながら、兄はただかぶりを振って拒絶する。そんな仕草にも、どこか快感を覚えながらひたすらに愛撫を続けた。もっと嫌がって泣けばいい。凶悪な欲望が、むくむくと育っていく。
不意に指をからだから引き抜くと、兄はひどく安堵したように深く息を吐いた。しかし、その優しい溜息を吐き終わる直前に、今まで犯していた箇所へ滾る熱を押しつけた。力任せに押さえつけ、足を割り開いて無理矢理捻じ込む。
「あ、あ゛ァァっ! っひ、あ、ああっ、っぐ……や、だ…ヤメロ、ぉ……ヴェスト、いやだ、いや、ぁ…あ゛ァッ……!」
「は、ぁっ、オスト……!」
「ひう゛ぅ……あ゛あァ、あ、っ…」
気付けば、泣き喚く兄の頬を己の右手で張っていた。驚愕と衝撃で呆然とする兄を乱暴に揺さぶり、再び頬を殴る。しまいにはただ涙だけを流しながら、「ヴェスト」と呟くように零すのみになってしまった兄を、ひどくいとしいと思った。
涙で濡れ、さらに叩かれたせいで赤くなっている頬を唇で撫でて、そっとささやいた。あいしてる、と。
「……っ!!」
急激に覚醒した意識がぐらぐらと揺れる中、それでも酷く鮮明にまぶたの裏に焼きついている光景に声なく唸った。
普段は後ろに撫で付けている前髪も、寝るときばかりは下ろしている。その前髪ごと額を押さえ、俺はただひたすらに自己嫌悪の嵐に苛まれていた。目を閉じれば浮かび上がる、白い肢体をくねらせて己の下で喘ぐ兄の姿。
「……なんという夢なんだ」
ぐったりと枕に顔を埋め、どうしようもない後悔と自責に溜息をついた。
――何なんだ、欲求不満なのか。まさか。つい先週、夢に出てきた男に抱かれて、夢とは正反対に自分が泣かされまくったばかりではないか。今は自分よりも細くて小さな体をした兄に組み敷かれ、ひどい言葉で罵られながらも浅ましく興奮する体を好き勝手弄り回され、意識すら半濁したころにようやく待ち望んでいた快楽を与えられた。揺さぶられ、叩かれ、なじられ、ときに優しく優しく愛しげな手つきで撫でられて、身も心もどろどろにとろけるほどに愛されたばかりだというのに。
ぐるぐると巡る思考をなんとかしようと、とりあえず埋めていた顔を枕から上げて時計を確認する。……午前十時二十五分。完全に寝すぎだ。
今日が休みでよかった、と言葉の無い独り言をつぶやいて、俺はなんとかベッドから体を起こす。重たいその身を引きずるようにして、べったりと汗をかいた体をバスルームに運んだ。
幸いなことにどうやら兄は朝から出かけているらしく(どうせまた一人で町でもうろついているのだろう)、家の中に確認することは出来なかった。都合がよかったかもしれない。
シャワーを浴び終えて着替えをすませ、遅めの朝食でもとろうかと考えたがなんとなくそんな気分にはなれなかった。まだ少し髪が濡れているが、自分でも驚くほどにそれを厭うことのないまま、ふらふらとリビングのソファに腰を下ろす。
背もたれに体重をかけ、天井を見上げながら溜息をついた。シャワーを浴びたばかりだというのに、頭はまだ夢心地。そんな気分だった。ぽたり、と前髪についた水滴がまぶたに落ちる。昼前なのに前髪を上げることもせず、家の中でぼんやりするなど、数年ぶりかもしれない。それほどに、あの夢は衝撃が大きかった。
しまった、と思ったときにはもう遅かった。出来るだけ意識しないようにと、思考の外へと追い出していた夢の記憶が雪崩のように俺の頭を支配する。
しろい、傷だらけの体。怯えるようにして身をよじり、俺から逃げようと伸ばした手を逆にとって引き寄せた。犯されて泣き喚く兄の姿は頭の芯が焼ききれるんじゃないかと思うほどに淫猥で、最初は恐怖しかなかった声に次第に甘い快感が流れ込んでいく過程がひどく印象的だった。
恐る恐る手を伸ばすと、そこは既に僅かにかたくなっていて、俺の自己嫌悪をさらに引き出した。何をやっているんだ俺は。そう思う、けれど思考を止めることは出来なかった。妄想の中で、兄が淫靡な笑みを浮かべる。
ずる、と背もたれに預けた体が沈む。ズボンの中に滑り込ませた手で、下着越しにそこに触れた。指の腹でぐにぐにと押し、爪の先でなぞった。妄想がこの指の動きを兄のものと勘違いさせる。
――ヴェスト、もうかたいじゃねえか。変態め。
「っあ、……オスト、ぉ」
その特別な名を口にしただけで、じんわりと腰に甘い痺れが走った。ズボンを下ろし、下着がじわ、と濡れていくのをその目で確認した。布越しに人差し指の腹を上下させる。布と陰毛が擦れて僅かな痛みをもたらしたが、それすら頭の片隅で快楽として認識してしまう自分が浅ましい。
ぎゅ、とまぶたを閉じると、暗闇の中に先程の夢の中の兄が浮かんでくる。涙でべちゃべちゃに濡れた瞳で、必死で俺を拒否しようとする兄に無理矢理口付けをして舌を捻じ込み、口内を、体中を犯した。揺さぶれば新しい涙が次から次へと零れ落ち、悲鳴は俺の名を形作る。
「オスト……っは、オストが、っぁ……俺の手で、あんなに…っ!」
低い己の声があまりにも醜い欲望にまみれていて、僅かに羞恥を感じた。けれど目の前にぶら下げられた快楽という餌に、強固であると自負していた俺の理性はあっさりと崩壊の一途を辿っていた。とうとう下着すらも引きおろし、直接触れる。あつくなったそれを握りこんで、少し動かしただけで肩がみっともなくびくびくと震えた。
はあ、はあ、と獣のような吐息を漏らしながら、俺はソファに沈めた体を揺するようにして右手をぐちゅぐちゅと上下させる。いやらしい水音に己を聴覚から追い詰めていく快楽にぞくりと背筋が震えた。
「ん、んぅっ……っく、あ、あっ…オスト……」
――ヴェスト。
欲に濡れた行為の最中、オストが俺の名を呼ぶときは決まって少しだけ上ずっていた。それは俺も同じで、たったいま吐き出した兄の名が、俺だけの呼び名が、ひどく濡れて上ずっていることにさらに興奮した。
妄想の中の兄の姿は、いつの間にか夢で見たあの乱れた姿ではなくなっていた。いつものように服をきちんと着込み、口の端をにやりとゆがめた、どこかサディスティックな笑み。俺を口汚い言葉で罵りながら、優しい愛撫と壊れそうなほどの快楽を与えてくれるときの、あの表情だ。
「あ、アぁ……オスト、ぉ……オスト、あ、あっ、んぅ…!」
気付けば俺は、ほとんどソファからずり落ちていた。霞んだ頭でソファに戻ろうと足に力を込めたが、うまくいかずそのまま本当に床に落ちてしまった。硬いフローリングの床に膝をついて、ソファのシート部分にうつ伏せに縋るようにして爪を立てる。右手は依然、忙しなく動かしたまま。
その手を一度はなし、俺はぼやけた頭でそっと後ろに回した。背を反るようにして、透明な液体でべたべたになった右手の中指をおずおずと窄まった箇所へと押し込んだ。きついそこに指を捻じ込む痛みは思っていた以上で、けれど俺は手を止めることは出来なかった。辺りを見回しても潤滑剤の代わりになりそうなものは見当たらず、俺はとろとろと垂れてくる先走りを掬い取ってはそこに塗りこめていった。
スムーズとは程遠いが、けれど少しは楽に指を動かせるようになり、俺は中指を根本まで埋め込む。
「ぅん、ぐ……あ、あ゛ァッ……!」
緩やかに抜き差しを繰り返し、かたく目を瞑って先日抱かれたときのことを思い出す。オストの指は俺より少し短くて細い。その指がぐいぐいと俺の体を割り開いて、侵入してくる。なかの一番気持ちいい部分をしつこく擦られて、何も考えられないほどの限界へ追いやられては慈しむようなキスをしてもらう。温かな舌に口腔を撫でられ、そのキスに縋りつくとオストは何も言わずに俺を抱きしめ返す。
そんなことを思い出しながら、俺はからだの中をぐにぐにと指で擦って少しでも快楽を拾おうとした。
ソファに爪を立てていた左手をそっと前へと移動させ、今にも達してしまいそうなほどあつく脈打つものを包んだ。慣れない左手での愛撫に手間取りながらも、両手を拙く動かして必死で快感を追った。
「ん、ンッ…、あぅ、うぅ……あァ…い、く……だめだ、だめ、いく……ぅっ!」
合皮のシートに頬を擦り付けるようにして体を丸め、手の動きを早めて己を限界に引き上げていく。頭が白く染まり、ああだめだ、と思った瞬間。聞きなれた電子音が鳴り響き、俺は咄嗟に手を放してびくんと体をすくませた。
音のする方を緩慢な動作で見やれば、俺の携帯電話がテーブルの上で白く点滅して着信を知らせていた。
「ぁ……オスト、っ」
白い着信ランプは、俺が設定したオスト専用の色だ。俺が思う、兄に一番似合う色。それが、無情になんども点滅して早く出ろと催促してくる。いま、こんな状態で電話になど出られるわけが無い。上がった息、欲まみれの声、そんなものが受話器を通して伝わってしまうのは、目に見えていた。
それなのに俺はのそのそとテーブルに膝を擦って近づき、透明な体液でべたべたに濡れてしまっている左手を伸ばした。着信ボタンを押す指が、震える。
「オスト、か」
「ヴェスト、出るのおっせーよ!」
ガヤガヤと騒がしいノイズを混じらせ、兄が開口一番、いつもの乱暴な口調で叱責を下してきた。普段ならば、こちらの都合も考えろ、などと説教じみた返事をするのだが、今はそんなことに回す気など残っていない。すまない、とだけ呟くように返し、あとはオストの返答を待つことにした。俺の様子を妙に思ったのか、オストの声音は少し心配そうな色へと変化した。
「な、んだよヴェスト、具合でも悪いのか?」
「そんなことは、ない。……それより、っ…は、ぁ、どうしたんだ」
「あーいや、いま散歩しててさ、そろそろ帰ろうと思うんだけど何か買うものとかあるか? あれば買ってくぜ」
「っ、んぅ……!」
右手が、俺の意思に反して僅かに動く。腰がそれを追うようにして揺れ、頭を痺れさせる快感がぞくりと駆け抜けた。俺は慌てて口を噤み、オストへの返答をし損ねてしまった。
しまった。今日二度目の声にならないこの呟きを自覚したときには、やはりもう手遅れだった。電話の向こうで、オストが「ふうん」と意味ありげな声を漏らす。オスト、と呼びかけると、兄は面白いおもちゃでも見つけたかのような声で、俺の名を呼び返してきた。
「なぁにしてんだよ」
ああ、ばれた。きっと電話の向こうでは意地の悪そうな笑みを浮かべているのだろう。くつくつと押し殺すような不恰好な笑い声が、雑音のベールに覆われたまま俺の耳に届いた。
「ん、っ……す、すまな、い……ぁうっ!」
「いいぜ、べつに。もっと動かせよ」
「あ、あぁっ、や、いやだ……言うな、ぁっ!」
左手で受話器を耳に押し付け、胸をソファのシートに乗せて右手の動きを再開させる。指を引き抜いて今度は屹立したものを手のひら全体で包み、とくに先端部分を親指でぐりぐりと擦る。唇の隙間からどろりと唾液が流れてソファを汚したが、気になどしていられなかった。
「あ、アァ……ひぃあ、あんぅっ…!」
駄々を捏ねる子供が泣くときみたいに、どこか甘えを含んだ上ずった悲鳴ばかりが口をつく。しかしこんな声を出しているのは大の男で、しかも声はかなり低い。屈強であると自覚している体をまるめて、姿の見えない兄に助けを求めるように己を慰めるなど、なんと情け無いことか。
「……やーらしいの。こんな昼間っから、おまえ何してんだよ」
「あ、ァ……す、すまな…っい、でも…手が、……ァんっ、と、とまらな…っ!」
ぐちゃぐちゃと音を立てて擦り上げているこんなみっともない俺を、オストはどう思っているのだろう。それを知ろうと耳に受話器をきつく押し当てるが、町のざわめきばかりが聞こえてくる。兄の感情を知るための情報は何一つなく、俺は快楽に邪魔されながらも兄の名を呼んだ。
オスト、と口にするたび、この場には無い姿を求めて体が勝手に跳ねる。
「ぁう…っ、オスト、オスト……っは、ぁあ、オストぉ、っ……!」
「ヴェスト」
びくんっ、と情け無いくらいに歓喜して腰が痺れた。機械越しのざらついた声だが、それでもオストの声が俺の名を形作ったことが俺の興奮を助長させた。しかし俺の待ち望んだ声は、俺の期待した言葉ではなかった。むしろ、その正反対。
「俺が帰るまでイくなよ」
どんな規則よりも重い戒めが、俺を縛り付けた。
それからオストは、電話越しにただただ俺に言葉を与えた。先日散歩しているときに見つけた、美しい花の咲く場所の話。あまり友人の多くない兄の悪友フランスとやらかしたくだらない失敗の話。オーストリアと繰り返している喧嘩の話。
それら他愛の無い話を、オストはひたすら俺に語りかける。しかし俺の中に灯った熱は解放できないため収まらず、むしろ兄が脈絡なく話す声に俺の体は浅ましくも興奮していた。右手を僅かに動かすと俺の口からは意図せず甘ったるい声が零れるが、電話の向こうの兄はそれに触れることなくただ己の話を続ける。
日常的な話をする兄の声を聞きながら、非日常的な行為に耽る倒錯感に背筋がぞくぞくと震えた。
「ァ、うん……っは、あ、あ、うっ…っく、う」
「そんであのくされ貴族、何て言ったと思う? 『あなたのような粗野でお下品な男と話していると頭が痛くなります』だとよ」
「っは、あ、あっ……んぐ、ぅ、っふ、ァんっ…っは、はぁ、はぁっ……!」
「澄ました顔で言いやがるもんだから言い返そうとしたら、今度はどっからかハンガリーが出てきてさ。あの女、フライパン振り上げて『オーストリアさんに手出ししたら殺すわよ!』ってマジな顔で言うんだぜ! まあフライパンは避けたけどな」
けたけたと普段どおり喧しい笑い声を上げて、オストは不意に話を途切れさせる。勝手に快楽を追い続ける俺に呆れたのかと不安に駆られたが、次いで「おっちゃん、コレ一つな」という声がした。露天で何か買い物でもしたのだろう。
そうやってわざと寄り道をしながら、ゆっくりと確実に家路を辿っている兄に文句を言いたくても、言うべき言葉は浮かばないしそんなことを言える立場で無いことは分かっている。
中を抉る指を、恐る恐る二本に増やした。倍増した質量を飲み込もうと大きく息を吐き、小さく呟くようにしてやはり兄の名を呼んだ。けれど兄は何も答えずに話を続ける。内容は、悪友であるスペインと飲んでいたときの話に移っていた。
「あっ、あ、あァ……オスト、オストぉ…っは、あ、んくっ…う、ぁァ……っ」
「それでさあ、スペインの野郎がまた子分の自慢話とか始めるんだよ。しかもあいつ酔ってるから同じコトばっか言って、ほんっとバカみてえでさ」
「は、ぁっ……あ、ひぅ、うっ…うァ、んっ……は、はぁ、あ、はぁ……い、ぁっ、も、むりだ……」
「おまえもそう思うだろ? でも弟分の自慢してえ気持ちも分かるんだぜ。俺だって、こんな可愛い弟がいるから誰かに見せびらかしてやりてえって思うし。……なあヴェスト、今のおまえを誰かが見たらどう思うかな」
不意に、声のトーンが下がり、まるで俺を脅すかのような響を含んだ。心底楽しそうに、受話器の向こうのざらついた声が笑う。直接的な言葉はなくとも、真昼のリビングでこんな行為に没頭している俺を罵るような声だった。
「ひっ……ァ、アッ! オ、スト……ぁは、あ、あっ…らめ、っ……いやだ、言うな、そんな……っ!」
口をつく拒否の言葉とは裏腹に、ぐりぐりと腹の中を探る指の動きが勝手に早まっていく。二本の指でひろげるように動かしてみたり、ぐぷ、と根本まで埋め込んでみたりと、よくオストにされていることを無意識のうちに辿っていた。
だらしなく半開きになった口元からはぬるい唾液がとろとろと流れ落ち、合成皮革のシートにねっとりとした水溜りを作っていた。左手で押さえた受話器がずれてしまい、俺は慌てて小さな電話を持ち直す。ぬる、と顎のあたりに零れた唾液が付着して、その冷たさが不快だった。
何も刺激していないにもかかわらずぷくりとふくれた胸の先が、押し付けているソファのシート部分にこすれてそれすら甘い痛みに変わる。躊躇いがちに上着の前を開き、愛用している黒いタンクトップを露出させる。ゆっくりと体を揺らして薄い布越しにそこを更にこすり付けると、じんじんと響くような痺れが愉悦として俺の背筋を駆け抜けた。こぼれようとする声を抑えるために噛み締めた下唇が、ぷつりと切れた。口の中に血の臭いが広がる。しかし今の俺には、それすら快楽を引きずり出す手段の一つになってしまっていた。熱を持った唇が心地いい。
「はぁ……あ、あぁ、っ…は、あ゛ァッ……オスト、はやく……っ!」
耳に押し当てた機械の向こうからは、もうざわめきは聞こえない。オストの世間話もいつの間にか聞こえなくなっており、カツカツと床を蹴る硬質な音とオストの息遣いだけが受話器の向こうから聞こえていた。
オスト、と呼びかけようと血の滲んだ唇を開いた瞬間。ばたん、と乱暴に玄関を弾けさせる音、それに次いでばたばたと床を蹴る音がした。待ちわびたその音が、まっすぐこちらに向かってくる。
「ヴェスト」
リビングの扉を開き、待ち焦がれた姿が俺に歩み寄ってくる。コートを羽織り、手袋もはめたままの兄がどこか上ずった声で俺の名を呼んだ。
外の空気を孕んだ髪のにおい。冷えた唇が俺の赤く染まっているであろう耳元に寄せられ、俺とよく似た(けれど俺よりも少し高い)声が何度も何度も俺を呼んでくる。
「ぁ、あっ、オスト……オスト、ぉ…い、きたい……もう、っあ、んぅっ…いかせて、くれっ!」
「ああ……イッていいぜ、ヴェスト。おまえがイくとこ、俺に見せてみろよ」
やさしくやさしく囁くような声音で、柔らかい命令が下される。許可と共に下りた命は俺の頭にじわじわと染み込み、それを理性が理解するよりも早く欲望が掠め取った。ソファにうつ伏せていた体を起こし、冷たいフローリングの床に座り込んでソファにもたれかかった。指は中からずるりと抜いて、代わりにその右手でもう痛いくらい張り詰めているものを握りこんだ。
先端からにじみ出る体液を掬い取っては塗りこめ、右手をぐちぐちと動かす。行き場のなくなった左手を床につこうとしたが、その手は取られて兄のあたたかい口内にぱくりと迎え入れられてしまった。
太い手首を捕まれたまま、凹凸の多い傷だらけの指がねっとりとオストの唾液に包まれる。人差し指ばかりをぴちゃぴちゃと音を立てて舐められ、そこだけ神経が過敏になったかのようにぞくぞくと痺れてくる。なんてこと無い、指先への簡単な愛撫に、俺は頭がぼやけていくのを感じた。
不意に指はオストの口内から追い出され、相変わらず手首は捕まれたまま指がどこかへ誘導される。オストの唾液でねっとりと光る指が、誘導されてタンクトップの中にもぐりこみ、俺の胸に置かれた。濡れた人差し指が、ちょうど屹立したところを押さえるように。
「ひっ、あぁっ!」
何かを言われたわけでも無いのに、俺の左手の人差し指は無意識のうちに力がこもってしまった。ぬめる指で乳首を直接ぐりぐりと押しつぶすと、俺の口からは浅ましい喘ぎがぼろぼろと零れ落ちていった。
右手はぐちゃぐちゃと卑猥な音を立てて性器を擦りあげ、左手は本来性感とは関係ないはずの胸を弄り、はあはあとだらしなく呼吸を乱れさせている。こんなみっともない姿、誰かに見られでもしたら俺は即座に羞恥で死んでしまうだろう。いま、目の前で欲望にぎらついた瞳をこちらに向けている人物以外に見られたら、の話だが。
「ぁ、あ、あ゛っ……い、いく…オスト、もうっ……んっあ、あ、いく、……っく、オスト…っ!」
びくんっ、と情け無いくらい大きく肩を震わせ、俺の右手にべちゃりと己の吐き出したものが付着した。体の中で渦巻いていた熱が解放されたことに呆然とし、俺はただ俺を見詰めてくる赤紫色の瞳を呼吸の荒いままに見つめた。よく見ると、その瞳にも俺と同じような欲望が灯っていることに気付く。
ぽつりと俺の名を呟かれ、俺は無意識に喉がふるえた。あの唇が俺の名を呼ぶだけでぞくぞくと欲望がもたげるなんて、どうかしている。
「ヴェスト、どんなこと考えてた?」
俺のすぐ傍で膝をつき、羽織っていたコートをばさりと脱ぎ捨てる。手袋も外してコートと共に床へ投げ捨て、外気で冷えた唇が俺の額に触れた。前髪ごと唇で撫でられ、俺は条件反射で目を瞑る。
そのまま冷えた指先が俺の顔に触れ、輪郭をなぞった。まるでその指に俺の存在を描かれているような錯覚に陥りそうになる。
「なあ、ヴェスト」
冷たい唇、冷たい指に反してひどく熱っぽい声が、中々答えない俺に焦れて名を呼ぶ。なんども、何度も呼ばれた。唇は額から俺の肌の上をすべり、目元、まぶた、鼻筋を辿って唇へと到達した。触れるだけのキスを与えられ、ついいつもの癖で口をあけてオストの舌を迎え入れようとしてしまった俺を兄は笑っていた。
薄くひらいた口に兄の指が押し当てられ、今度こそ舌を絡める深いキスを与えられた。
「ん、んくっ……ぅ」
「……んっ、はぁ…なあヴェスト、言えよ。どんなこと考えて、ここ弄ってたんだ?」
膝のあたりに絡まっていたズボンと下着を引き抜かれ、俺の足を割り開いてたった今吐き出したばかりのところへオストの指が触れた。
「おまえのあの妙なAVか? 過激な雑誌?」
萎えたそこを冷たい指でぐにぐにと揉むように押される。付け根から先端にかけてなぞるように指が上下し、俺は再びそこが熱くなっていくのを感じた。
「それとも……俺のことか?」
後ろめたい事実を言い当てられ、俺は無言のまま戸惑うように兄から顔を背けた。ばか正直なその行動のためか、オストはくつくつと笑いを喉で押しつぶすような不恰好な声で笑った。
「可愛いな、ヴェスト。俺のこと考えてこんなになっちまうのか」
右手首を乱暴につかまれ、どろどろに汚れたままの手のひらを持ち上げられる。手のひらをゆっくりと伝い、白濁が重力に従ってどろりと床に落ちた。俺がオストの名を呼びながら果てた証拠を目の当たりにさせられ、急激に顔が熱くなる。
その手のひらに、オストの病的に赤い舌がべろりと這わされた。赤が濁った白を拭い、暗い口の中に消える。顔をしかめる兄を非難するように名を呼ぶ。オストは俺には答えず、床についていた膝を起こしてすぐそばのソファに座りなおした。
偉そうにふんぞり返る兄を床に座ったまま見上げると、その冷たい唇が俺の名を紡いだ。
「俺にもしてくれよ」
短い言葉に、反論や抵抗はいくらでもできた。しようと思えば、拒絶だってできたはずだ。
けれど俺の手はおずおずと兄に伸ばされた。ソファに浅く腰掛けた兄の膝を割り、体を滑り込ませて、僅かにかたくなっているものにジーンズの上から唇を寄せた。布越しにキスするようにして唇を押し当て、やわく歯を立てる。ん、とオストが小さく声を漏らしたことが、少々心地よかった。
前を開いて少しジーンズをずらし、先端をゆっくりと口に含んだ。唾液を絡めて吸い上げ、唇で扱いてやると次第にかたくなっていくそれに、愛しげに頬擦りをした。
裏の太い血管をねっとりと舐め上げ、くびれた部分を舌で突付く。唇だけで吸い付いて、全体に何度も何度も小さなキスを与えた。根本でふくらんでいる陰嚢を唇で食み、そこにも小さくキス。ひくひくと震える幹を手で扱いて、先端を舌先で穿るように愛撫した。
「っは、あ、あっ……ヴェスト、っ」
「んぐっ……ァう、んふ、っくう…ん、んっ、ァ」
鼻に抜けるくぐもった声だが何かの足しにならないかと、出来るだけオストを煽るように声を出した。時折ちらりと兄を見上げると、欲望で赤紫色がぎらぎらと光っていた。
オストの俺より少し小さな、けれど俺と同じかそれ以上に傷だらけの手が、くしゃりと俺の髪に差し込まれる。そのまま乱すように撫で続けられ、俺はたったそれだけなのに酷く愛しげな興奮が湧いてくるのを感じた。吐息混じりの声で名を呼ばれ、頭を撫でられながら口で兄を追い立てている。それだけで、腰があまい痺れに満たされていった。
十分なかたさを持ったそれの先端にもう一度だけキスをしてから、俺はそっと唇を離した。不意に快楽がやんだことで、オストが不満気に俺を見下ろしてくる。俺は手でゆっくりとそれを擦りながら、まるで懇願するような響きを含ませてオストを呼んだ。
「……もう、ほしいんだ」
「へえ……なにが?」
オストは最近、俺に恥ずかしい言葉を言わせようとしたがる。はじめはそんな卑猥な言葉を言えるはずもなく、俺はそれを拒否した。しかし、そうするとオストはネズミをしとめた猫のような表情でにやにやと笑い、そのまま手を引っ込めてしまうのだ。与えられなくなった快楽を求めて俺が負け、最終的には猥雑で直接的な言葉でねだるまで許してもらえなくなったこともあった。
それ以来、こういったオストの求めてくる卑猥な言葉を口にする機会が増え、俺はそのたびに羞恥に震えながらもオストの望む言葉を紡ぐことになった。
「っ、オストが……俺のくちで気持ちよくなったオストのあついのが、ほしい。俺のなか、たくさん……ぐ、ぐちゃぐちゃに、気持ちよくして、くれ…ッ!」
オストの望むとおりの言葉なのか、俺には判別できない。しかしオストが俺に向かって手を差し伸べてきたということは、あながち外れてもいなかったのだろう。俺はその手を取り、促されるままソファに乗り上げて膝をつき、オストを跨ぐような格好をとらされた。
先程まで自分の指でひろげていたそこに、ぴたりと先端が押し当てられる。
「腰、落とせるか?」
問いに言葉無く頷き、俺は膝にこめた力を徐々に抜いていく。ぐぷ、と先端がめり込み、それだけで俺はびく、と腰を引き攣らせてしまった。俺の背に回されたオストのがさがさの手が、引き攣った俺の腰をゆっくりと撫でる。
「ん、ん゛ぅ……ッ! は、っ……く、ゥ」
「息とめんな。力抜いて……っは、ンッ…っ、そう、いい子だ」
「あ、あ゛ァ……っ、オスト…」
先程まで自分で弄っていた箇所に、ずぶずぶとあつい肉が埋まっていく。オストのものが若干の痛みを伴いながら内壁を擦って俺の中に侵入していくのを感じるたび、俺の口からは押さえきれない声が零れていった。
襲いくる甘い痺れに耐えるためかたく瞑っていたまぶたをそっと開いた。至近距離で、オストの赤紫色の瞳と目が合う。その瞳はとろりと欲に溶けており、何かに耐えるようにぎゅっと眉根を寄せていた。はあ、と熱っぽい吐息が俺の胸元にかかる。オストも興奮しているのだ、そう思うと、途端にいとしさが体中に広がった。
すべてが俺のなかに収まりきると、オストは俺を抱きしめる両手にこめた力をさらに強くした。細いくせに相変わらず力は強い。勿論純粋な力比べであったなら俺のほうが圧倒的に有利だが、こういうとき、俺はオストの力強さを再認識させられる。
どくどくと俺の腹の中で脈打つそれに煽られ、俺はちいさく息を漏らした。それを間近で感じ取ったオストが、にやりと笑う。
「おまえが動けよ、ヴェスト」
ほら、と僅かに下から突き上げられ、俺は予想していなかった兄の動きに甘ったるい声を上げてしまった。しかしそれからオストは動こうとせず、俺より少し低い位置にある唇で俺の鎖骨に吸い付いてくるだけだった。ちゅ、と不似合いな可愛らしい音で、俺の肌を赤く鬱血させる。そんなところに跡をつけるなと文句を言ってやろうとも思ったが、ちいさく与えられるそんな刺激にさえ俺の体は浅ましく反応してしまうために言葉にはならなかった。
もどかしい刺激に疼き、俺はおずおずと膝に再び力を入れる。ずるりと体からあついものが抜け落ちる感覚にふるえ、躊躇いがちにもう一度腰を落とす。初めは恐る恐る繰り返していたその動作も、徐々に慣れると共に激しさを増していった。
じゅぷじゅぷと耳を塞ぎたくなるほどの粘ついた水音。はあはあとだらしなく漏れていく吐息と、自分のものだと認めたくない低くとろけた声。そのどれもが俺の耳から頭の中をぐるぐると犯していく。
「ア、あンぅっ……は、はぁ、あっ、あァ…んぐ、っふ、あ、あっ……!」
見た目からは想像できない、驚くほどに柔らかいプラチナに唇を埋める。荒い呼吸をそこで繰り返すと、外の冷たい香りはもう消えていることに気付いた。ただオストのにおいが鼻腔を満たし、俺はオストの肩に手を置いてプラチナブロンドに頬をすり寄せた。
オストも俺の首筋に唇を触れさせ、痛みすら感じるほどにきつく吸い上げてきた。俺からは見えないが、絶対に赤い鬱血が散らばっているに違いない。けれどそれと咎める気も止める気も起きず、むしろもっと痛みを、所有されているという証拠を、という欲求が頭をもたげていることにひどく驚いた。
「あ、ァ…もっと……オスト、ぉ……ッひ、あ、あァッ!」
不意にオストに下から大きく突き上げられ、俺は慌てて手をオストの首に回してしがみついた。
俺が上下する動きにあわせてオストが突き上げ、互いに互いを追い詰めあっていく。
「あッ、あ……ヴェスト、ヴェスト…ッ!」
「は、あ、んくぅ……ッ、ん゛あァ、あっ…オスト、もう……い、きたい、っ!」
「おれも、いきそ……ッ! あ、んッ…ヴェスト、ぉ……」
あまり刺激されていなかったにもかかわらず、どろどろと涎を垂らして今にも熱を弾けさせてしまいそうなものに、オストの白い手が触れた。大小さまざまな傷にまみれた手が、昔から俺を守り俺を慈しみ俺に差し伸べられてきた手が、今は俺の醜い欲望を乱暴に擦り上げている。
はっ、はっ、と舌を突き出し、炎天下の犬がするような浅く短い呼吸を繰り返す。一際大きく突き上げられ、ばちばちと爆ぜるような愉悦が下半身から体すべてを駆け巡った。
「っく、う……ッ!」
「んァ、あ、あ……ッ、ひあ、あァッ!」
腹の内側に直接熱い精液をかけられ、陰茎に与えられる直接的な愛撫と相まって俺はオストの手の中に白濁を迸らせた。数度にわたって精を吐き出すそれを、ぬちゃぬちゃと猥雑な音をたてながら幾度も撫でられる。
俺もオストから熱を搾り上げるような動きを緩慢にし、オストの手の動きが止まるとほぼ同時に俺も動きを止めてオストにきつく抱きついた。
「っは、はぁ、あ、はあ……」
オストも俺の腰に手を回してきつく抱きしめ、何度も小さく俺の名を呼んでくる。
ぐたりと力の入らない体を、ついオストに預けてしまっていたことにようやく気付いて、俺は慌ててオストの上から体をどけようと身をよじった。
「ヴェスト?」
「す、すまない……あ、ァ…っ、ん、いま、どくから……」
情け無い体を叱咤して、無理矢理身を起こす。笑う膝に力を込めて起き上がると、今まで俺の中を埋めていたものがずるりと抜け出す感覚に全身がみっともなく震えた。次いで、そこからあふれ出た液体がどろりと内股を伝って流れ出て、俺の体はその刺激にも強張った。
「っあー……ごめんな。なか、出しちまった。つけてる余裕なかったからさ」
「構わない、が……その、あまり見るな」
兄の精液が流れ出して、かたい皮膚の上を伝う感覚に身を強張らせる姿など、あまり見られたいものではない。それも、俺のような体も大きくて「可愛らしい」とは無縁の男であるなら、兄にとっても見たいものでは無いだろう。けれど、オストは俺の言葉に反してまじまじと見つめてくる。天邪鬼な兄らしい行動だとは思うが、俺の羞恥をいたずらに煽るだけだ。
見るな、とオストの顔面に手のひらを軽く押し当て、俺はようやく兄の上から体をどかした。気付けば体中が汗やら何やらの体液でべたべたに汚れており、たった今まで二人で耽っていた行為をまざまざと思い出して軽く死にたくなる。更には兄が帰ってくる以前に己で慰めていたという事実を思い出したくないのに思い出してしまった。
ちらりと振り返ると、にやにやと楽しそうに笑っている兄の表情が目に入る。羞恥で死ねるならば、きっとそれは今なのだろう。
「ヴェースト」
「頼むから何も言うな……」
「かわいかったぜ」
反論する気も起きず、俺はせめてもの腹いせにと床に落としてある兄のコートと手袋を踏みつけて、近くにあったタオルを手に取った。あらかた体を拭き取り、様々な体液で汚れたそのタオルをべしっとコートの上に叩きつけてから、脱ぎ捨ててあった下着とズボンを身につけた。
「てめっ、そのコート高いんだからな!」
「知っている」
「うあ、超かわいくねえ」
言っていることが先程と180度転換している兄を尻目に、俺はシャワーを浴びようとリビングを出た。
ばたばたと喧しい足音で追いかけてきた兄が、俺の肩に手を回して普段はあまり聞かない低い声で俺の耳に直接声を流し込んでくる。
「かわいくねえヴェストにお仕置きな。とりあえず俺も一緒に風呂入って、そこでじーっくり聞かせてもらおうじゃねえか。さっきは結局言わなかった、おまえがどんな妄想でオナニーしてたのかを、な」
悪夢の予感がした。
end.
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すみません相変わらずオチって都市伝説だと思ってます。
ちなみにこの後、独は風呂場でお仕置きと称した羞恥プレイが施されます。