木陰にて





「昔は、そんなこともあったっけかなあ」
「……なによ、いきなり」
 ティーカップをソーサーに戻しながら、ハンガリーは眉間に皺を寄せた。プロイセンはケセセと笑って、べつにー、と気の抜けた声を出して椅子の背もたれに体重を預ける。
 木陰で、ふたりだけのお茶会。
 大きな大きな木はプロイセンがまだ幼いころに植えられたもので、彼が大きくなり衰退した現在、頼りなかった苗木は大きく強く逞しく、両手を広げるように茂った枝葉の下にテーブルと椅子を運んで心地良い風を受けられるほどに成長した。
 大樹が苗木だった頃に幼い子供だった彼と彼女は、大樹の下で穏やかなお茶会を開いていた。
「いや、おまえとこうして茶を啜って菓子を食うような日がくるとは思ってなかったから」
「私だって。チビの頃のあんたは、ほんっとに可愛くなくて乱暴でやんちゃでうるさくて、……あの頃ね、あんたが大好きだったのよ、私。あ、勿論友達としてよ、あんたに恋愛感情だなんて吐き気がするから勘違いしないでね」
「知ってるよそんなこと。俺だって、そうだな、あの頃は男だと思ってたおまえのこと、すげえ好きだった。まあ俺様の方が強いんだけど、強いし。喋ってるとそこそこ楽しいし、何より同年代で俺様について来れるヤツっておまえくらいだったからな。友達だと思ってたんだよ、どっかで」
 さわ、さわさわ、大樹の枝に茂る葉が揺れた。囁き合うような音を立てて風が通り過ぎ、その下でどこかぼんやりと目を細め、まるでそこにあった過去を見ているかのような目で言葉を落とし合う男女の髪を撫でた。
 白磁のティーカップに口をつける、白磁の色をした男は笑う。
「おまえが女だと分かったときはどうしようかと思ったぜ。結局公国になるまでずっとおまえとは微妙な距離だったよな、確か」
「そうそう、あんたが公国になった最初の日ね、私が自分を女だって認めたの。嫌だったの、本当は。あんた、急によそよそしくなって、距離を置いて、目もちゃんと合わせてくれなかったから、……寂しかったの。あんたに嫌われるの、嫌だった。私らしくもなく、あんたのこと友達だと思ってたから」
「……悪い」
「やだ、謝らないでよ気色悪い。私が私を認めたら、あんた、ちゃんと私のこと見てくれたじゃない。やっぱりだめね、自分を誤魔化すの、辛いわ」
 くすくすと笑い、はちみつ色をした長い髪を風に遊ばせて、ハンガリーもカップに口をつける。プロイセンの淹れた紅茶は甘く、ああ、甘党なところは昔から何一つ変わっていない、とどこか郷愁に似た感情が胸をくすぐった。
 手を伸ばした先にある、かわいらしい花の模様がちりばめられた皿にこんもりと盛られているのは、少しだけいびつな形をしたクッキー。甘い紅茶にちょうどいい、控え目な甘さと、ふわふわ香るバターの風味。それから、さくさくと心地良い食感をハンガリーは気にいっていた。おいしい、と呟くと、プロイセンが誇らしげに歯を見せて笑い、それ、俺の弟が焼いたんだぜ、と胸を張った。まるで自分の手柄のように誇るその表情が憎たらしくて、微笑ましかった。
「はー……まさか、あんたがここまで丸くなるだなんて思ってなかったわよ」
「うるせえ」
「トシかしらねえ。随分と優しい顔するようになっちゃって、ほんと、気色悪い」
「喧嘩売ってんのかテメエ。俺様はまだまだ現役だっつの」
「あら、引退でしょ? 今はドイツちゃんが頑張ってるじゃない」
「ん、まあな。でもまだまだ、アイツには俺がいてやらねえと。仕事もてんでなっちゃいねえ、要領悪いし、無茶なスケジュール組むし、自分の限界ってもんを分かってねえんだアイツは」
「兄ぶっちゃって」
「兄だからな」
 カップを置いてクッキーを手に取り、さく、と一口齧ってからプロイセンは笑う。
「ん、うめえ」
 さくさく、クッキーを齧って胃に収め、また紅茶を飲む。昔は想像もできなかった、穏やかな光景だった。
「ドイツちゃんの作るものって、ほんと飾りっけがないわね」
「あー……そういうの苦手なんだよ」
「苦手なのはドイツちゃんじゃなくてあんたでしょ」
 彼の弟が作る菓子は、素朴なものが多かった。きらびやかなデコレーションという発想がそもそもあまりないのか、生地を焼いただけ、クリームを塗っただけ、フルーツを乗せただけ、の、よく言えばシンプルな、悪く言えば地味なものが多い。それは彼が不器用でデコレーションを避けているというわけではなく、彼の兄、つまり、プロイセンがそもそもそういった煌びやかなものを苦手としているためだった。
 ドイツが菓子作りを始めたきっかけは、兄だ。
 兄が上機嫌に甘い菓子を作っている姿を見て、彼も甘いものを好きになり、甘いものを作るようになった。その、手本とも言うべき兄が、かわいらしくクリームで彩ったり、フルーツを美しく盛りつけたりといったことを面倒臭がって省いた結果、弟であるドイツにもそのような作り方が定着してしまっているようだった。
「出来ないわけじゃないんだから教えてあげたらいいじゃない」
「うるせ。なんかそういうのめんどくさいだろ、俺はうまければ見た目とかどうでもいいんだよ」
 妙なところで機能主義なんだから、と、ハンガリーは呆れたように笑っていた。
「っていうかな、飾りっけ云々って言うか、おまえはあの坊ちゃんの作った妙にきらきらしい菓子が好きなだけだろ」
「っていうか、オーストリアさんが好きなだけなんだけど」
「あ゛ー、うっせ。ノロケたいだけなら帰れよ」
「何よ、ちょっとくらい聞きなさいよね、いつもあんたの弟自慢を聞いてあげてるんだから、たまには私にも付き合いなさい」
「ヤダね。俺、あいつ嫌い。っていうかな、昔坊ちゃんをボコボコにしてた俺にそういう話できるなおまえ」
「ああ、そんなこともあったわねえ。あの時ばかりはあんたのこと本当に殺そうと思ったわ」
「おまえとガチの喧嘩したのも、もうずいぶん昔になるんだなー……」
 すっと目を細めると、血と悲鳴が目の前に飛び散るような気がした。兵士の悲鳴、己の哄笑、屈辱に染まった表情を見下ろしてげらげらと笑い、その胸倉を掴んだ日を、今でも鮮明に覚えている。
「あの頃はやんちゃだったなあ、俺様」
「やんちゃ、の一言で済ませないでちょうだい」
 こつん、と脛の辺りをパンプスの丸いつま先で小突かれる。いてえよ、と笑いながら文句を言って、クッキーをもう一枚頬張る。ざくざくと噛み砕いて紅茶で流し込み、空になったティーカップをソーサーに置いた。
 ハンガリーがティーポットを手に取り、カップに紅茶を注ぐ。ほら、と差し出されたカップの中にぽちゃん、と角砂糖を放り込みながら、ダンケ、と短く呟いた。
「はー……トシとったなあ、俺ら」
「あんたと一緒にしないで。私はあんたと違ってまだ現役なの、仕事もあるし、」
「まだ両想いになってねえし、ってかぁ?」
 ケセケセ、馬鹿にしたように笑うと、今度は先程よりも強く脛を蹴られた。
「痛ェ!!」
「あんまりくだらない冗談言ってると怒るわよ」
「んだよ、もうずっと両想いな俺らに嫉妬してんじゃねーよ」
「うるさいわね。ほんと、……ドイツちゃんも、こんなのの何がいいんだか」
 呆れたように溜息をついて、風になびく髪をくしゃりとかきあげる。そのまま頬杖をついて、じとりと赤い目を覗き込むと、ひどく自信に満ちた色が誇らしげに揺れていた。
「おまえは俺の弟じゃねえから、一生かかったってわかんねえよ」
 ふにゃり、と、数百年前の彼からは考えられないような、とろけきった笑顔がそこにあった。ハンガリーは一瞬目を丸く見開いて、次に大きなため息をつき、最後に呆れたように笑った。
「ゴチソウサマ」
「ドーイタシマシテ」

 穏やかな、ある一日の、ある場面。ほんの短い、ふたりだけのお茶会だった。





















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 はんがりーさんとぷろいせんさんがお茶啜りながらもちゃもちゃ喋ってるのが書きたかったんです。
 昔話をする、ふたりが、なんか、かわ、せつな、うおっ…… みたいなのを目指したはずだったんですが、なんか違う。
 たまには、木陰でお茶を飲みながら昔の話をするふたりがいてもいいかな、って。





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