Sweets+




 目の前に運ばれてきたケーキに、アメリカは目を輝かせる。たまごの色をしたふわふわのスポンジに、たっぷりのまっしろな生クリーム。一番上に鎮座するは、みずみずしくまっかないちご。
 アメリカの目の前にケーキを置いたドイツは、テーブルの上の自分の席にあたる場所にも皿を置く。こげちゃいろのスポンジは空気を吸って、こちらもふわふわと弾力のありそうな姿で皿の上に座り込んでいた。席についたドイツは温めたカップにとぷとぷと紅茶を注ぎ、アメリカの前に差し出した。キラキラした目で、まだ? まだ? と待てをされた犬のような瞳で見てくる年下の友人に、ドイツは苦笑する。
「召し上がれ」
「わあい! ドイツ大好きなんだぞ!」
 ショートケーキのシンボルたるいちごに勢いよくフォークを刺し、アメリカは大きな口を開けてそれを迎え入れた。もぐもぐと頬を動かして咀嚼するアメリカに、ドイツは呆気にとられるように紅茶を啜った。


 先程、日本がドイツの家を訪ねてきた際に手土産としてケーキを持ってきた。欧州の方に洋菓子もなんですかね、と差し出してきたのはいちごのショートケーキがみっつと、チョコレートケーキがふたつ。甘いもの、お好きでしたよね。そう笑う、ドイツよりずっと年上の友人には、何もかもが見透かされているような、そんな気さえした。
 ドイツの家とはまた違った形態をとる日本の洋菓子とドイツの淹れた紅茶を差し出してしばらく話をした。内容は、なんでもないことだ。イタリアはいつもいつもひとを困らせてばかりだとか、近頃はどこも体調が悪くて大変だが頑張ろうとか、明日の会議を考えると頭が痛いとか。ドイツにしては珍しく、会話内容よりも会話すること自体を楽しんだ。
 しばらくして日本が帰って行ったドイツの家の冷蔵庫には、ケーキがみっつ残った。先程日本が食べて、ひとつ。同時に自分も食べて、ひとつ。ひとつは、今は家を空けている不遜で尊大で優しくていとしい、兄にでも取っておいてやろうと思った。あのひとは、甘いものが好きだから。ドイツは兄を思い浮かべては、へらりと緩みそうになる口元を叱咤して、冷蔵庫の扉を閉じた。さて、あとふたつはどうしよう。兄はみっつも食べるだろうか。
 ドイツが思案とも呼べない思考をくるりと回していると、日本が出ていったばかりの玄関からチャイムを連打するおとが鳴り響いた。こんな呼び出し方をするのは、ひとりしか心当たりがなかった。
「うるさいぞアメリカ!」
 バンッ、とドアを開けると、扉の向こうにはにこにこと笑ったアメリカが、ぴょこりと一筋飛びだした毛を揺らして待ち構えていた。
「遅いんだぞドイツ。おなかすいちゃったじゃないか! せっかく俺が遊びに来てあげたんだから、早く来てくれないと」
 上がり込んだ無遠慮な友人にねだられるままおやつを、先程ドイツの思案の対象だったケーキを差し出してやった時の、アメリカの顔ときたら。


「アメリカ、ついてるぞ」
「ん? んぅー……ん、ん」
「あー、口にものを入れたまま喋るな。ほらこぼすぞ、ちゃんと手元を見ろ」
 もぐもぐと口の中に入れたケーキを咀嚼し、唇の端にクリームをつけたまま、アメリカはむっと眉根を寄せて唇を尖らせた。親に叱られた子供のようだと、ドイツは思った。
 不満そうな顔をしながらもきちんと口の中のものを飲み込んでから、アメリカはぶうと頬を膨らませる。
「ドイツうるさいんだぞ。まるでどっかの誰かみたいじゃないか」
 むくれているようで、けれど沈んだ音を声に忍ばせるアメリカに、ドイツは眉を上げた。まったく、この男は。
 小さくため息をつきながら、ドイツはテーブルを挟んだ向かい側に座る男に手を伸ばす。本人が拭おうともしない口元のクリームを指で掬って自分の舌に乗せた。
「またイギリスと何かあったのか」
「……べつに」
 分かりやすく口数をぐんと減らし、アメリカはケーキに刺すフォークの動きをもぴたりと止める。フォークの先端でまっしろの生クリームをつついたりスポンジを僅かに削って少しだけ口に運んでみたりと、あからさまな態度を見せるアメリカにドイツは苦笑した。
 ソーサーからティーカップを手に取り、ひとくち含んでカップを戻す。一呼吸置いて、アメリカ、と名を呼んでやるとアメリカはその肩をぴくんと上下させた。
 しばらく、沈黙が落ちた。
 アメリカは先程の勢いをどこへやったのか、唇を尖らせてケーキをつつくだけで、ドイツはそんなアメリカを見守るように見つめていた。
 この年下の友人は、いつも空気を読まない言動を繰り広げているが、それでいてとても繊細な一面があることをドイツは知っていた。知っていたし、何度も見てきた。彼が些細なことに落ち込み、ちいさなことで顔を真っ赤にするほど喜んでいるところを、何度も。
 アメリカは素直じゃない、と、ドイツは常々思っていた。ほんとうに。たったひとりの存在が『些細なこと』をするだけで、アメリカという自由で自分勝手で豪快な男を一喜一憂させている。それなのに、そのたったひとりにはそんな姿を見せないのだから、アメリカという男は本当に素直じゃなくて面倒臭い男だと、ドイツは思っていた。
 更に無言のまま彼を見つめていると、アメリカは僅かに口を開いた。ぽつぽつと、呟くような音が聞こえる。
「口うるさいんだよ、彼は。いっつもいっつも、グチグチと俺のやることなすことに文句つけてさ」
「いつものことじゃないか」
「……だから、やなんだ」
 ぱく、とクリームとスポンジがアメリカの口に消える。カットしたケーキは半分ほどアメリカの胃に消え、残りはアメリカの持つフォークにつつかれすぎてぼこぼこと不格好に歪んでいた。
「そりゃ、さ。好きだよ。俺はイギリスのこと、すき。そんなの、彼だって分かってるはずじゃないか、それなのにいつもいつも、いつもいつもいつも! 俺はいつまで弟でいればいいんだい、食べ物を零すなおとなしくしろ人の話を聞け、いつまで経ってもガキだなあ。そんなのもう聞き飽きたよ、俺は彼の何なんだい、ねえドイツ」
「ああ、そうだな。まったくもって同感だ」
 チョコレートケーキを淡々と口に運んでいたドイツは、気付けば空になっていた皿の上にフォークを置く。いささか乱暴に、叩きつけるような手つきで置かれたフォークとそれを受けた皿が、がちゃんと音を立てた。アメリカがきょとんと目をまるくしてドイツを見つめるが、ドイツはそれに構わず拳を握って低い声を搾り出し始めた。
「大体、兄というものは自分が一番偉くて一番正しいと信じて疑わない生き物だから厄介だ。何なんだ一体、どんなときでも兄であろうとするあの姿勢が憎くて仕方がない。俺は弟として甘やかされたいわけではないんだ、いや、それも嫌いではないんだ。……足りない、と言うのが正しいんだろうな。そうじゃないんだ、弟としてだけではなく、もっと……」
「分かる、分かるよドイツ。そうなんだよ、兄って生き物はどうしてこんなに厄介なんだろうな! 俺はちゃんと好きって言ってるんだぞ。それなのにあのツンデレときたら、『……おう』って言って俺のことぎゅっと抱きしめるだけでさ、ほんとにやんなっちゃうよ」
 かつん、とスポンジに突き刺したフォークが底の皿にぶつかって硬い音を立てる。抉り取ったスポンジと生クリームを口に放り込み、勢いを取り戻したアメリカの言葉が紡がれると同時に咀嚼された。拗ねたような口ぶりなのに、どこか楽しそうに弾んだ声で文句を連ねるアメリカの言葉に乗り、ドイツも言葉を続けた。
「本当に、あの『何でも分かっている』みたいな態度を取るのはどうやったら改めさせることができるのだろうな。もういいと言っているのに耳元でずっと好きだ好きだと囁かれるこちらの身にもなってもらいたいものだ。……くそ、兄に抱きしめられただけで何も抵抗できなくなってしまう自分すら憎い」
「そうなんだよなあ……。結局、あいつら兄って生き物は卑怯なんだよ。俺が彼に弱いって、分かっててやってるんだ。抱きしめればいいと思ってさ、卑怯にもほどがあるよ。ヒーローは卑怯なやつは許せないんだぞ」
「そうか、ならどうする?」
 皿の上に四分の一ほど残ったケーキを全てフォークで掬い、大きく開けた口に投げ入れてもぐもぐと噛んで紅茶を流し込み、かんっとカップを置く。
 アメリカはドイツに向かって笑い、唐突に席を立った。
「ヒーローがやっつけてくるんだぞ! そうだ、そもそもイギリスが悪いんだ、いくら言っても俺を子供扱いばっかりして……。うん、あんな卑怯な眉毛怪人、俺がやっつけてやる」
 白い歯を見せるように、にかっと笑うアメリカに、ドイツも苦笑気味に微笑んで答える。
「では、俺も狡猾で最低な不憫怪人が帰ってきたら倒してやることにするか」
「そうするといいよ。あとで戦果を教えてくれよな」
「了解した」
 じゃあ、Thanks! と手を振り、ばたばたと駆けていくアメリカの背中を見送り、ドイツはちいさくため息をついた。やはり、彼はああでなくては。沈んだアメリカなど見たくない。
 ドイツはくすくすと笑いながら、自由で自分勝手で豪快なヒーローが散らかした食器を片付け始めた。
 さて、ひとつだけ残ったケーキは、あとで狡猾で最低な男に食べさせるとしよう。甘いケーキを食べて、この俺が抱く甘ったるい気持ちのひと欠片でも味わえばいい。そう目論むドイツは、自分の口元についた甘いクリームを指で拭って舐めた。舌に乗る甘さと、胸に溜まる甘さに、ドイツはもう一度笑った。












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 普独・英米前提の弟組が好きすぎて生きるのが辛い。



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