それだけでした
その手に触れてもらうのが好きだった。その指が俺の髪を梳いてくれるのが好きだった。その手のひらで頬を撫でられるのが好きだった。その足元に座っているときが幸せだった。あなたの隣を歩ける世界を愛していた。
もう、ぜんぶ叶わない。
俺は、兄さんが好きだった。
好きで、好きで、好きで好きで好きで、自分さえも見失ってしまいそうだった。世界が壊れてしまいそうだった。ほんとうに、好きだった。愛している、好き、そんな言葉で表しきれないほどに、兄さんが好きだった。
好きで好きで、もう、分からなかった。
分からなかったのだ。自分がどういうイキモノで、彼はどんな世界に生きていて、俺は何なのか、もう分からなかった。
だから、分かりたかった。
どうすれば分かるのか、それすらも分からなかった。だから、兄さんに聞くことにした。ねえ、兄さん、俺はあなたが好きなんです。好きで好きで、もう分からないんです。そう言うと、兄さんは少し困ったように笑って、そっか、と呟いていた。白く、それが少し日焼けした肌。腕がそっと伸びてきて、俺の頭を撫でる。ぽんぽん、と大人が子供にするように、俺の頭を軽く叩くように撫でてくれる兄さんの手のひらは冷たかった。
聞いても答えは出なかった。兄さんは答えてくれなかった。あなたが好きで死んでしまいそうなんですと言っても、そっか、困ったな、と笑うだけだった。なんて残酷なひとなのだろうと思った。いつか俺はこのひとに殺されてしまうのではないかとも考えた。
でも、その残酷なひとの手のひらが撫でてくれるのが心地良くて、何も文句など言えなかった。俺の中の言葉は消えて、兄さんの手に吸い取られてしまった。そっと頬を撫でてくれる兄さんの手のひらは冷たかった。
だから、欲しくなった。
欲しかった。その手が欲しかった。願わくば手だけではなく心臓も心も魂もぜんぶ欲しかったけど、心臓も心も魂も、どれひとつとして兄さんから無くなってしまったら兄さんは死んでしまうから、それらはいらないとも思った。
だから兄さんに頼んだ。
「うでを、ください」
兄さんは少し驚いたような顔をして、すぐに困ったような顔になった。眉を下げて笑い、俺の頭をぽんぽんと、まるで子供を諭す大人のような手つきで撫でた。
その腕は、次の日になくなった。
もう片方の腕も欲しいと言えば、兄さんはまた困ったように笑って、そっか、と呟いた。
また翌日、兄さんのすらりと伸びたきれいな両腕はなくなった。
肘の少し上の辺りから途絶えた肌。断面には包帯が巻かれ、痛み止めが切れると兄さんは歯を食いしばって耐えているようだった。俺は兄さんが苦しむその姿を見るのが辛くて、とても好きだった。ああ生きている、俺もあのひとも生きている。よかった、これでまだあなたの傍にいられる。
苦しむ兄さんの姿を眺めながら、トマトスープで煮込んだ生臭い肉を口の中に放り込んだ。ぐにゃりと潰れて擂り潰されて俺の腹に消えていく肉のまずさが、この世の楽園のように思えた。
兄さんは器用なひとで、一年もすれば両腕のない生活にも慣れたのか、ひょいと自力で立ち上がってとことこ歩くことすら容易にできるようになった。
俺は、それが怖かった。
あのひとには足がある。脚がある。歩ける、跳べる、俺を置いてどこかへ行ってしまえる。あのひとが俺を置いてどこかへ行くなんて考えられないことだったが、考えてみたらひどく恐ろしくておぞましいことだった。
だから、あの脚も欲しくなった。
にいさん、にいさんにいさん、俺の、俺だけのたいせつなにいさん。ください、あなたの脚をください、どこにも行けないように跳べないように俺を置いて行かないように。あなたの脚を足を俺にください、だいじょうぶ、あなたには俺がいるから。
なんて身勝手な言葉だろうと思った。自分自身の言葉に自分自身が腹を立てる。一番おぞましいのは俺そのものなのだろうと思った。
「あしを、ください」
俺の言葉に、兄さんは一年ぶりに困ったように笑った顔を見せた。そっか。そう呟いた兄さんの足元に擦り寄り、膝にキスをした。別れのキスだった。
翌日、兄さんの脚はなくなった。今度は二本同時に、太ももの途中からぶつりと切り落とした。
兄さんは熱を出して三日三晩苦しみ続け、けれど一度たりとも俺の名を呼ぶことはなかった。俺はそれを少し寂しく、けれどとてもうれしく思いながら、骨がついたままの肉に齧りついた。硬くて生臭くてまずいその肉を咀嚼して嚥下することが、極上のしあわせのように感じられた。
こうして、兄さんはすべてを失った。
俺は兄さんを手に入れて、兄さんは少し困ったように笑いながら俺の腕の中にいてくれる。
時折、そこにはもうないはずの手足が痛みを訴えて涙を浮かべながら耐えている姿を見るのが、俺にとっての幸せだった。生きている。
なあ、俺の可愛い弟、おまえは今しあわせか? そう問いかけてくる兄さんに笑って頷きながら、その唇にキスを落とす。ぢゅう、と吸って呼吸を奪っても、兄さんは抵抗することができない。手足がないから俺を押しのけることも、俺から逃げることもできない。ああなんて無力でかわいらしいのだろうと思った。
ここ数年で目に見えて痩せてしまった体を、胴体しかないその体を横たえて、ぜえぜえと苦しそうに呼吸を繰り返す胸元にキスをする。唇を徐々におろして股間に触れさせると、兄さんは怒ったように俺の名を呼んだ。ヴェスト、ヴェスト、と兄さんにだけ許された俺の名を呼ばれるのが好きだった。ああ、こわい、そのうちあの声も喉も欲しくなってしまうのだろうか。それがとても怖かった。
あぐあぐと布の上からあまく噛みついたり手で揉みこんだりしているうちに、兄さんのペニスがかたさを増してふくらんでくる。食べてしまいたいと強く思った。
半ズボン(兄さんはこれしかはけない、だって、長くてしなやかな脚はもうないから)を脱がし、下着を引きずり下ろして直接ペニスを口でぱくりとくわえた。じゅぶじゅぶと汚い音を立てて血液を集め、俺のよだれでべとべとになったペニスの上にまたがって、ボトムと下着を脱ぎ捨てた体を乗せて尻の肉で勃起したペニスをずりずりと擦った。
にいさん、いれたい、これ俺の中にください。兄さんの意思も制止も無視して、無理矢理穴に捻じ込んでいく。いたい、いたい、呼吸が止まってしまいそうなほど痛かった。ぬちぬちと乾いた水音が聞こえ、意識がぼんやりとしていく。兄さんが俺の下で体を震わせて苦しそうな呼吸を繰り返している音だけは鮮明に聞こえてきた。
無理矢理突っ込んだそこをぐずぐずと揺すると、あ、あ、あ、と勝手に震える声帯が情けない音を絞り出した。俺のみっともない顔を見られているのは恥ずかしいなと俺の下にいる兄さんを見下ろすと、兄さんも痛みや羞恥や屈辱に耐えるような顔で唇を引き結び、喉の奥で、ん゛、ん゛ッ、と潰れた呻き声をあげているのが見えた。かわいくてかわいくていとしくてたまらくなって、俺はその細くてしろい首に手を置いた。ぐぅ、っと体中を前にかけながら揺さぶる体を止めずにいると、兄さんは血が止まってしまいそうな真っ赤な顔でぱくぱくと口を開閉していた。酸素の足りていない水槽の中の魚みたいですごく可愛いと思った。その真っ赤な顔を顎から頬にかけてべろりと舐め上げると、兄さんの腰がびくんっと動いて気持ちよかった。
首を絞める手を離してやると、兄さんはぜえぜえと苦しそうに大きく呼吸を繰り返し、肺が受け入れきれなかった空気にげほげほと噎せ込む兄さんは滑稽で可愛かった。
行き場のなくなった手で、今度は腕の断面を撫でることにした。つるりと丸みを帯びた皮膚は既にぴったりとくっついて、あんなにどぼどぼと血を流していたのが嘘のようだと思った。本当に、これは俺が切った腕だろうか。
切ってしまった腕はどこへ行ったんだろう、ああ、知っている、本当は知っている、俺が食べてしまったじゃないか、骨を砕いてスープに混ぜて、そのスープで喉を傷つけながら兄さんの肉を全て食べてしまったのは俺じゃないか、ああ、ああ、……ああ。
ぼたり、と、兄さんの胸の上に水が落ちた。
ああ、兄さんの勃起したペニスに腹の中を抉られるのがあんまりにも気持ちよくて、よだれを垂らしてしまったのだろうか。みっともない。ごめんなさい兄さん、あまり見ないでくれ、汚してしまう。
「ごめん……なさ、い……ごめんなさい、ごめんなさい兄さん、ごめんなさい……」
ぼたぼたと、兄さんの上に水がどんどん落ちていく。おかしい、だって、こんなのおかしい。兄さんが滲んで見えない。
気付けば俺の頬はべったりと濡れており、滲んだ視界の向こうで兄さんがどんな顔をしているのか、俺には判別できなくなっていた。
俺は幸せだった。俺を惑わせる優しい手も、俺から逃げてしまう脚も切り落として、体を重ねて、兄さんは生きるも死ぬも俺次第になって、俺はいつでも兄さんの傍にいられて、こんなに幸せなことはないのに。
おかしいな、おれは、いまこんなにもしあわせだというのに、……どうして泣いているんだろう。
手の甲で涙をぐっと拭っても、兄さんがどんな顔をしているのか、もう分からなかった。
しあわせ、……の、はずだったのに。
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一時間半くらいクオリティ。
両手足のないだるま兄さんにはぁはぁするどいつ可愛いよねっていう発想だった。
どうしてこうなった。