ゲテモノ





 俺の弟は、舌と頭が少々おかしいようだ。


「兄さん、夕飯が出来たぞ」
 部屋のベッドに転がって携帯電話からブログを更新しようとしたところで、部屋のドアが叩かれた。二つ折りの携帯電話をぱたんと閉じ、体を起してドアを開けた。
 途端、漂ってくるにおい。ああ、クソ、またか。
「……今日の夕飯、なんだ?」
「あー、シュニッツェルを用意した。好きだろう?」
「ん、……おまえの分は?」
 俺より少しだけ高い位置にあるきれいなあおい瞳をちらりと見上げてやると、ヴェストは少しだけ困ったように微笑んだ。この笑顔に、何度騙されたことか。
 俺の弟は、不器用で素直でたまに意地っ張りで思い込みが激しくて、どうしようもなく俺のことを愛していた。俺だって勿論弟を愛していたし、そこに何の問題もない。
 ただ、俺の弟は少々おかしいということが、最近特に気になるようになってきた。
 はじめは何の疑問も抱かなかった。俺達は愛し合っているのだから、たまにセックスもしていたし、それ自体には何も問題はない。あるとすれば、俺の弟はどうやら俺のことが大好きすぎるようで、俺がヴェストを性器で串刺しにしてやると狂ったように悲鳴のような声をあげてよがるので、俺の耳が馬鹿になりやしないかという危惧くらいだった。
 それが最近になって、やたらと噛みついてくるようになったのが、まずひとつ。綺麗に生えそろった並びのいい歯で、あまく俺の皮膚に噛みつく弟。快楽に切羽詰まっての行動、というよりは、明確な意思を持って俺の肩や首にやわらかく噛みついてきているような、そんな行動が目につくようになった。
 それから、これは結構前からなのだが、よく食べる。朝はパンとシリアルを山ほど。それはもう、文字通り皿にこんもりと盛ったシリアルに、さらに握りこぶし程度の大きさのパンを4つ、5つ、ヘタすると10近い数を食べる。ジャムを塗ったり、蜂蜜を垂らしたり、スクランブルエッグを挟んだりしているようだが、それにしても食が細いというわけでもない俺すら眉をしかめたくなる量を、大量のミルクやフルーツジュースで流し込むようにして摂取する。
 昼はほとんど外で食事をとっているようだから詳しくは知らないが、イタリアちゃんたちに聞いたところ、外で食べているぶんには普通の食事のようだった。しかし夕方家に帰ってきたヴェストがまずすることは、兄である俺にただいまのキスをしてからすぐ始める食事の支度である。それも夕飯ではなく、どうやら昼に食べ足りなかった分の補完らしい。先日なんかはおもむろにパスタを3束ほど茹でていると思ったら、茹であがったパスタを一気に大皿にぶちまけ、上からミートソースをどばどば落として着替えもせずにスーツのまま貪り食っていた。その後、片付けと着替えをしてから通常の夕飯の支度にとりかかる。3人前のパスタをたいらげた直後だというのに、通常と同じ量の夕飯を用意し、通常と同じ時間に晩餐が始まるのだ。
 そして何より、その晩餐が一番の問題だった。

 ダイニングのテーブルいっぱいに並べられた料理。俺が座る側のテーブルには綺麗に盛りつけられたサラダとメインのシュニッツェル。付け合わせのじゃがいもは俺好みにこんもりと盛られており、さらに彩りのニンジンのグラッセとインゲンのバター炒めも添えられていた。俺の好みを熟知しているヴェストの料理は、いつだって俺の舌を喜ばせる。
 しかし、だ。
 ヴェストが座る側のテーブルには、表現すべきか躊躇うほどの料理が所狭しとひしめき合い、俺の食欲を一気に減退させた。
 肝臓料理のレーバーベルリーナーアールトくらいは、俺もまあ、あまり好きではないが食べるからよしとしよう。
 スープ皿に浮かぶ、ごく小さな粒。あれは蚊の目玉だとか、以前本人の口から聞いたことがあったような気がする。早く忘れたい知識だ。
 それから小皿の上にちょこんと乗った物体。卵のようだが、あれもたしか、今朝ヴェストが嬉しそうに「アヒルの卵が手に入ったんだ」と語っていたのを覚えている。アヒルの卵、ピータンは聞いたことがあった。ヴェストが口にするにしては珍しく普通の単語だと油断した俺が間違っていた。「半孵化した状態でな、少し鳥の形になっているところを食べるのが美味いんだ」と、夢でも語るように言われて、俺は何も反応することができなかった。
 更には、真っ白な器の上に乗る真っ黒な物体。形から推測するにカエルか何かだろう。それが何匹も重ねられ、軽く塔を形作っている。
「カエルだ。本当は茹でようと思ったのだが歯ごたえが欲しくて焼いたら少し失敗してしまった」
 うるせえ説明すんな。


 これこのように、俺の弟は、世に言う悪食というやつらしく、一般的にゲテモノ料理と呼ばれるものを好んでいるようだった。
 これに気付いたのは数ヶ月前。はじめはそんなグロテスクな食べ物を俺の向かい側で食べられることに激しい抵抗を覚えたが、今では「俺に薦めてこないだけマシか」と思えるまでになっていた。諦め、ともいえる。
 最近では俺が何も言わないのをいいことに、どう見ても問題がありそうな食材まで食卓に並ぶようになっていた。おまえが齧ってるその指、まだマニキュアついてんぞ。
「おまえさあ……」
「ん、どうした兄さん」
 ヴェストはぶち、と爪を歯で引きちぎって皿の上に吐き出し、骨から肉をそぎ落とすように啜りあげながら幸せそうに弾んだ声で返事をする。からん、赤いマニキュアが塗られた爪が、皿に落ちた。
「……なんでもねえよ」
 げんなりしながらも食事を続けることができるのだから、俺の図太さは現代でも健在らしい。このくらいできねえと、コイツの兄貴なんてやっていられないと言うことだろうか。
 ヴェストは少し不満そうに、ふうん、とだけ呟き、赤い爪の上に白い骨をぼとりと放り投げた。行儀悪い。
 その後、スープを3杯と卵を5つおかわりし、朝に食べたものと同じ大きさの黒パンを4つ平らげて、長い長い晩餐に終止符が打たれた。ちなみに半孵化したアヒルの卵は殻をスプーンの腹で割って開き、中を掻き混ぜて食べていた。俺が嫌そうな顔をするのが楽しいのか、ヴェストは「ほら、くちばしだ」とスプーンに乗せて差し出してきやがったので、テーブルの下で向う脛を蹴り飛ばしてやった。
 満腹になったヴェストはやたらと上機嫌で、鼻歌すらうたいだしそうなほど幸せそうに俺の分の食器も片付け始める。
 テーブルの上がきれいに片づけられた直後、キッチンから本当に鼻歌が聞こえてきた。背を反らしてそちらを見ると、ヴェストが楽しそうな足取りで手のひらに皿を乗せて戻ってきた。まだ食うつもりかこいつは。
「なんだ、まだ何か食べるのかよ」
「ああ、デザートだ」
 そう言ってヴェストは小さな皿の上にデザートとやらを乗せたまま再びテーブルにつく。その手元を覗き込むと、そこには、
「……プリン?」
 それにしてはやけに白いが、見慣れた形のぷるぷるした物体が皿の上に乗せられ、その頂点にはまた白い生クリームとさくらんぼのシロップ漬けがかわいらしく鎮座していた。
「ああ、豚の脳だ」
 聞き間違いだと信じたい。
「……は?」
「豚の脳みそをプリンにしたんだ。カスタードを多く混ぜたから、甘くて美味いぞ。兄さんもどうだ?」
 弾力のありそうな白いプリンをスプーンに乗せ、邪気なく微笑む弟に、俺は溜息しか出なかった。俺が無言で手をパタパタと振り拒否を示すと、ヴェストはすぐに手を引っ込めてプリンを自分の口に運ぶ。素直でよろしい。
 なんとなくテーブルから動く気が起きず、ぱくぱくと嬉しそうに豚の脳みそを、……プリンを頬張る弟を見つめていた。無邪気にプリンを食べる弟は、正直言って抱きしめたくなるくらい可愛い。可愛くて可愛くてどうしようもないのだが、あれらの料理を味わったその口にキスをし、その舌に俺の舌を絡める気になれないのは仕方のないことだと思う。
 だから、プリンを食べ終わり満腹感のせいか普段よりずっとにこにこしているヴェストが後ろから椅子の背もたれごと俺を抱きしめてきても、俺はその腕をぺちぺちと叩いて拒んでしまうのも、仕方のないことだと俺は思った。
「……にいさん」
「ダメ。ヤダ。兄さん今日はもう寝ます、おっさんは早寝早起きなの」
「兄さん、腹が減ったんだ、……兄さん」
「……散々食ったろ。明日の朝まで我慢しなさい、欠食児童」
 ヴェストの『空腹』の意味は分かっていたが、俺は敢えて額面通りに言葉を受け取り、しつこく俺を抱きしめてくる腕の産毛を逆立てるように、出来るだけ優しく撫でてやった。
「たべたい、兄さんが食べたいんだ。にいさん、兄さん……腹が減った、なあ兄さん、食べさせてくれ、あなたのこと、食べたい……」
 すりすりと俺の頬に自分の頬をすり寄せ、ヴェストは普段外では絶対に出さないような甘ったれた声で俺にねだる。にいさん、にいさぁん、と、とろけきった声で俺を呼び、かぷかぷと俺の耳や首筋をやわらかく齧ってくる弟の対処法を思案し始めた時、不意にヴェストの腕が俺を締め付けるのをやめた。
「……あなたがそういうつもりなら、こちらにも考えがある」
 そういうつもりもどういうつもりも、俺は今日はセックスしたくねえってだけなんだがな。何をひとりで切羽詰まり始めているのか。ヴェストが俺を拘束していた腕をほどいたことで、俺は早々に部屋に戻ってしまおうと椅子から立ち上がった。
 ヴェストの分厚い胸板を手のひらでトンと押し、自室に向かおうとしたところで、……捕獲された。
「ちょ、こら、降ろせクソガキ!!」
 偉大なるお兄様を荷物のように肩に担ぎあげ、ヴェストはふんと鼻を鳴らして勝ち誇ったように笑った。
「あなたは俺に喰われるんだ。骨の髄までしゃぶり尽くしてやるから、覚悟してくれ」
 こいつまじで殴りたい。
 愛しい弟に抱くにしては些か不適切な感情がむくりと芽生え、しかしヴェストは俺にお構いなしに、俺を担ぎあげたまま廊下を歩き始めた。











+++
 一応、前編。続くかはわからぬです。
 続くとしたらドイツさん襲い受けのエロ。予定!



http://30000loop.moryou.com/